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明るい酒、暗い酒 [清酒の面白み]

セラピストと治療家の方の対談動画を見ていました。

セラピストの方のポジティブさは、ネガティブのスパイラルに入っている側からすると明るくて眩しくて見つめられないと言われたことで、施術のスタンスを変えたというお話。

それは、相手の話を徹底的に聞くということだそうです。話を聞くことでネガティブを吐き出してもらい、ネガティブが出きらないと、ポジティブが入らないと。

清酒の技術トレンドではなく、ビジネストレンドとしては、「明るい酒」の方向性が強く出されています。その理由を考えると、造る側の事情よりも、売る側の事情が大いにあるのではと考えます。



私の店では、ただ料理を提供するだけではなく、その料理の背景にあるストーリーをも売りにしている、
などという、ビジネスワードを実現するためのツールとしての清酒の役割とは何か。

一人薄暗い空間でワンカップ片手に酒を飲む、これでは客単価が上がりません(笑)

長谷川平蔵のように、蕎麦屋に入って蕎麦を注文し出来上がるまでに単品のつまみと酒を飲んで出来上がった蕎麦をたぐって早々に帰る。これも客単価が上がりません(爆)

ポジティブだらけの世の中になっているのが現実の社会でありましょうか?
ネガティブな社会というものは、蓋をしてみない、見せないことがより良い社会になるのか?

私にはそのような「明るい社会」は、見られないほど眩しいものに感じられます。

セラピストの方のように、ポジティブはネガティブを出し切った後にすんなり入る、といった施術経験からもたらされた原理は理解がしやすい表現でありますし、人の心持ちというのは、そういうもので「も」あろうと考えられます。

明るい酒だらけの社会で、明るい酒の効用を得る事ができるのはだれか。

暗い酒というものが、これからのビジネスモデルに不都合だと切り捨てられるのでは、明るい酒も暗い酒も、お互いを活かし合うことが出来ないのではないかと。

付加価値としては暗い酒をストーリーとして明るい酒の仕立てで提供するというのがミソ(毒)

料理にストーリー(付加価値)があるのは結構な事です。ですが私はそのストーリーに加え、食べる人のその時のコンディションに合わせた、意図した技術によって表現されている料理を口にする事ができれば、幸せだなと考えます。

原理主義と技術主義、その両者の出口としては、社会に何をもたらす役割なのか。
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