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正しいことをおっしゃっているのはわかりますが [新型車購入までの道]

この記事も、先の記事の水野氏の批判とは立場が逆転した、正反対の方向性のイデオロギーに対して、私が「アレルギー反応」を起こしたような内容となっています。

これも若気の至りです。

ですが、私の自動車の運転に対する物差しとしては、どのような駆動方式であれ、後輪(運転席から最も離れた後輪)の感覚(間隔?)が掴みやすいことが始まりになっています。これを意識し始めると、走らせている車の大きさがあまり気にならなくなる、そんな感想を持っています。



モーターファン・イラストレーテッド Vol.108

The 後輪駆動
後輪駆動至上主義者に問う。あなたはその本質を知っているのか?

攻撃的な副題がついていたことは、ここに書き起こすまで気がつかなかった事ですが
2015年発売のND型ロードスターと、S660についての評価の悪い点を
数少ないであろう記事にしている雑誌です。
S660は、試乗をした事がないのでわかりませんが
NDロードスターについては、ロードスター好きな人ほど読まれると、興味深いと思います。

気分を害されるかもしれません。
ですが、視野が広がるきっかけもあります。

さて、わたしがNDロードスターに試乗して「一瞬で」やられてしまったことについては
書きました。

か、もしくは、別途、UPいたします。

この「やられてしまった」理由を、NDロードスターの弱点?欠点?を指摘する記事から
教えてもらうことができました。

それは運転手が後輪軸近くに座っているという事です。
試乗車に乗る前に、少し離れた位置でNDを運転席側側面から見ていると
後輪の近くに運転席があります。
この事に、無意識に好感を持った事を覚えています。

そして運転をしていて、後輪軸、後ろのタイヤの近くに座っている感覚が、
FCを運転している雰囲気を思い出させ、
わたしに、NDロードスターへ親近感を沸かせて、「やられてしまった」のだろうと。

この後輪軸近くに座らせるに当たっては、この記事では、NA、NB、NC型で作られていた、
「車両重心位置がホイールベースの真ん中に近くて、着座位置頭の頭の位置もそれに近い場所にある、
美点を翳らせてしまった」と、言います。
その結果、
「車両運動性を確信として掲げる後輪駆動車としての理想から僅かに遠ざかってしまったことも確か」、
であり、
「それは論理に基づく推察と感覚野の検知結果が一致するちょっと残念な事実である。」
と締めくくっています。

着座位置については、FCに乗っていた時に、運転席側側面から観察していると
随分と後ろのタイヤの近くにお尻があるものだと感じていました。
そして、NB型にも乗る機会があり、同じように運転席側側面から見ていると
同じメーカーのスポーツカーを標榜して作られた車なのに、
随分と着座位置は後輪から遠く、ホイールベースの中心近くに自分の座ったシートがあるのだなと
その違いを、なんとなく、覚えていました。

素人ですから考えるわけです。

メーカー側が、意味もなく着座位置を決めることは無かろうと。
ではなぜ、FCとNBでこれほど着座位置が違うのか。

それは、車両の旋回特性の違いなのではないか。
FCも、旋回性をうたわれた車でしたが、そこはREエンジン搭載車ゆえに
パワーも与えられ、その結果のホイールベースの長さと、
あえてエンジンパワーは非力で、旋回性能を損なわないためのホイールベースの長さ。
回り過ぎて危険な場合もある、ということは、ホイールベースの長短からもうかがえます。
そのまわり過ぎて危険な状態を、車両側で制御をしようと思えば余分なセンサーや機材が必要となり
軽さをうたっているロードスターにそぐわなくなる。
ならば、運転している事で、危険の度合いを運転手に伝わりやすいようにするためには
低い速度域で警戒を発信させることが目的であるのか、
もしくは、多少旋回速度が速くても、運転手が慌てて操作ミスをするような事にしないためには
運転手を、車両重心の近くに置いてあげることで解決する事になるのだろう、と、想像するのです。

ですから、わたしはNBを運転している時には、「やられなかった」のです。
ノンパワステのステアリングのフィールには、これは好いと「やられました」が(笑)
それは、自分が座っている位置が後輪から離れている事による、感知できるフィールの違いがあった。
と、この雑誌の記事から、確認する事が出来るわけです。

わたしの結論はこれだけです。

ですが、考えさせてもらうことはできます。

以下は、素人の妄想をもとにした推論です。

この事から、考えさせてもらえたことは
自分の言葉と文章で物事を表現する事の困難さ、です。

借り物の知識、借り物の言葉。

わたしは、この記事の中で書かれている、運転手が感知する、三次元運動のセンサーは
良く言われて使い古されている「腰センサー」では半分の正解で、
正しくは「三半規管」である。
との内容に自分の経験とは違うのだなと感じました。

この、三次元運動のセンサーは「三半規管」であることから、上述の、
車両重心がホイールベースの中心に近く、着座位置の頭の位置の近くにあることへの
優位制への論理展開になるのです。

人間の生理的器官としての役目では、「三半規管」が、運動のセンサーであるのは
間違いのない事です。
これは物理や定義のお話です、数学の公式が間違っているということを指摘するわけではありません。

ですが一輪車を乗った後に、FCを運転すると
乗る前よりも感じられていなかった「腰センサー」が強く働くのです。
そしてその時に感じられる「腰センサー」は、信号交差点で曲がる時の車両の傾きや
後輪タイヤのインフォメーションを、明瞭に知らせてくれるのです。

その時の印象は、脳内へのイメージは、腰からシートを介して車両の挙動が伝わる、
正確には、骨盤の上、背骨の一番下あたりから、ビビッと脳に伝わる何かを感じることができる、
という事実。

運動センサーが三半規管であり、視覚がそれを補佐しているということは
人間の生理的な現象の事実です。
ですがわたしには、この記事の内容は
正しい事を言っているのはわかりますが、でも間違っている、と
直観します。

その直観を支えるのは、NB、ND、FCを体験した自分の経験です。

NAをターゲットとして作られたNDであるならば
NAの旋回性の高さ(危うさ)をも、現代の技術で凌駕する事ができそうだと、もしくは
同程度にまで持っていくことができるだろうと分かった時、開発陣は考えるはずです。
オープンカーを転倒させることのリスクの高さを。
無論、現代の車としてのマナーの良さは、電子制御システムを導入すれば解決できる、
NDでは電子制御がデフォルトで装備されています。
そしてこうも考えるのではないでしょうか。
電子制御もできるのであれば、もう一つ先の旋回特性も備えさせられないか。
その旋回特性の危うさから、運転手をホイールベースの中心に着座位置を近づけなければならなかった
その制約から解放される事にならないか。
古典的と言われても、新しいものがすべて、古いものより優れていることはないでしょう。
後輪駆動車のスポーツモデルが、着座位置を駆動する後輪の近くに持っていったのには
普遍的な理由があるはずです。

ND型ロードスターが、想像のお話です、四つのタイヤをしっかりと接地させてあげる、
という思想を、開発の主眼点として持っていたとするならば
着座位置をそれまでと変更する事によって得るものがあるのではないかと、素人は想像するのです。

なぜここまで想像できるかというと、FCに乗っていた時に、着座位置を後ろに下げて
後輪を感じながら走る事、ということを守っていたからです。
そう勧められた理由はわかりません。
ただわたしは、着座位置を下げてからのFCの運転が楽しかったことは事実です。
前後の重量バランスが優れているので、最終期には、前後のタイヤの摩耗の調整も
ブレーキとアクセルで試みていたくらいです。
つまり、素人の私でも、後輪駆動車の駆動輪の後輪を感じる事の意味というのはあるのだと、
なんとなく感じる事が出来ていたのです。

この記事の主旨は、雑誌の副題を見て感じたように、
新型ロードスターを盲目的に礼賛している
他のメディアに対しての反攻の狼煙でもあるのでしょう。
良いことばかりではない、正しいことからはこれだけずれている、ということを
数値と論理を駆使して構築された、生真面目さを記事から感じます。

わたしがNB型ロードスターを試運転した時に感じたのは
リアタイヤの感触が随分離れているな、でした。
それは、適切ではない整備や、部品の選択も関係していた事でもありますが
適切な整備や部品の選択をした後の、リアタイヤの感触が運転席に近づいてきた感覚も
体験したという事実もあります。
それでも、FCの時に無意識に感じていたリアタイヤの近さはなかった。

だから、NB型ロードスターには「やられなかった」。

ですが、ホイールベースの中心に座っているということで
車両の動きに対する安心感を与えられていたと思います。
でなければ、乗ってすぐに、違う車なのに同じようなペースで走ることは、
わたしにできることではありません。

NCまでの着座位置は、敏感な旋回性能を車両側で抑えるのではなく、
精度高く運転手に伝えることで安全性を確保するための着座位置と
NDでは、四つのタイヤをちゃんと接地させるための(妄想の域なのでお間違いなく)
接地感を伝えさせやすいための着座位置。
(加速時は後ろに荷重がかかる、制動時は?少しでも重心が後ろにあればそれだけでも
後輪に重量がかかって制動が安定化する?)

この思想のもととしては、開発時のターゲットカーとしての評価が高かった「ケイマンS」。
そして、CG誌で記事にされていた、
マツダの操安性能開発部がベンツW124型300Eを購入し、レストアして参考車両にしていたこと。
ケイマンSは、ミッドシップ。加速時、減速時のタイヤの荷重のかかり方をお手本としつつ、
タイヤへいかに荷重をかけさせて仕事をさせるかというお手本でのW124型300E、と妄想するのです。

着座位置を後方へずらす事によって、車の挙動を精確に、
もっといえば、少々ナイーブに運転手へ警告を与えていたシグナルを、穏やかにする事により
運転操作に対する余裕を生ませた。

どちらも車両の挙動を運転手に精度高く伝えるという役割と
車両を安定させ危険度を低下させる目的は、果たしている事だと思います。

そして、この記事の冒頭で書かれている
「素直で軽快という意味では同じだが、あたかも巴戦に徹して優位を誇った零式艦上戦闘機のごとき鮮烈な、時に鮮烈すぎる機動性を備えていた先代までの先鋭性は、ND系では明らかに翳っている」

この事を考えるに
この「鮮烈すぎる機動性」というものは、実は、タイヤのグリップの性能を使えているレベルが
低いレベルのことであった、と、考えると
NDは、タイヤにいかに仕事を高能率にさせる事によって、今までの旋回速度を上げている、
という事につながらないだろうか。
現にこの記者も、高速旋回時の安定性については、NDがあると記している。

零戦の性能の秀でていたのは、その旋回性能や格闘能力ではなく、
設計者の堀越二郎氏の言う「人間パイロットの感覚に沿った操縦性能を与えることができた」ことが
世界に先駆けて零戦で設計する事が出来たゆえに、会敵時における圧倒的な優位があったわけで
旋回性能や格闘能力は二次的福産物に過ぎない、ということです。
無論、設計の要求には沿ったものなのですけれど。
実際、戦後、堀越二郎氏と零戦のパイロットの対談で、実戦ではこういう動かし方をしていた、
という話を聞いた堀越氏は、「そのような意図を持って設計していなかった」と、述べています。
つまり、設計者が考慮していた事以上の性能を発揮する事が出来た肝は
「人間パイロットの感覚に沿った操縦性能を与えることができた」ことが肝であり、
その副産物としての「旋回性能」であったはずです。
実際、零式艦上戦闘機の重量バランスは、軽量化を進めていたために随分とフロントヘビーであったはずです。

後輪駆動車の理想(数値上の)から離れる事によって
車としての基本、いかに四つのタイヤに仕事をさせられるか、ということに
注力を向けられたのが、ND型ロードスターである、というだけでしょう。
これはNC型に劣るとか劣らないとかの問題ではなく、何を選択し、何を失い、何を得たか。

それだけのはずですが、副題の通り、少々喧嘩腰に、本流に対する反骨心を示さんがための
記事内容だと考えると、粗を探し出して取り上げるというこの記事内容には残念ではありますが
わたしにとっては、そのおかげで、着座位置の違いによる自分のクルマの好みというモノを
考えるきっかけを与えてくれました。

後輪駆動の理想の着座位置から離れても、そこには別のメソッドが存在している、と
考えたとしても、論理的に破たんすることは無いことでしょう。
正しい事ではないかもしれませんが間違ってもいないこと、だといいですし
わたしの好みはどうも、後輪駆動車で後輪軸に近い着座位置の車、のようでもありそうです。
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