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NDロードスター、水野氏の短評 [新型車購入までの道]

この記事を書いたのは、水野氏のロードスターの短評についての批判的なコメントを読んだ経緯があったからだと覚えています。
イデオロギーに捉えられているのは素人なのか、それとも同業他者なのか。イデオロギーで本を読めばどのようになるのかは、わかりそうなものですし、同じように「イデオロギー」で自動車の評論を書けば、左右どちらかに偏った見解にしか辿り着くことはないでしょう。

この記事の最後に、当時のCG誌でロードスターの長期テストの記事に私が惹かれていると書いてあります。これも今から思えば「イデオロギー」にやられていたやもしれません。今読み直しても、CG誌のFCの長期テストの記事は、私にとって特別な記事であります。


youtubeに、水野氏のNDロードスターの短評がアップされていました。

非常に明快でわかりやすく、物理的な事から造り手の姿勢まで見えてしまう水野氏の
感性豊かな内容には、なるほどと思わされます。

ただ、これを理解しにくい人たちもいるというのも事実。

水野氏は、良いも悪いも言いませんでしょう。

ただ機械をできるだけ正確に評価している、そしてその評価軸には、物理的な評価と
造り手の想いという数値化することの難しい内容まで含まれるわけで
わたしは、水野氏の解説は、素直にそのまま受け取ることが、肝だと思うのです。

NDロードスターの評価は
造り手の熱い想いが運転していて伝わる車だ、と。
車としての規定問題は解決できている、
ただ負荷が高くなった時の造り込みが修練されていない。
それを具体的に説明をして、解決策も提案し、自説の証明としている。

これは、NDロードスターを良い車だとも悪い車だと言うような評価ではなく
自動車の開発経験者としてNDロードスターを評価した内容が
物理的にはこれが問題、情緒的にはこういう事を感じたよ、と述べられただけのことです。

NDロードスターは、その注目度からインプレッション文は、記事から動画から
ネットに氾濫しています。
その中から、自分が気に入った、自分が理解できる共感できた記事を見つけるのも
ネット時代の情報収集のひとつかもしれません。
ただ、その情報の質はどこにあるのかは、常に考えなければならないことでしょう。

雑誌に掲載されている文章で何を見たいのか。
わたしは、その文章を書いている人物を読みたいのでしょう。
とんちんかんでも、自分の文章で書きあげている記事からは
読んでいても退屈さを感じられません。
もしその文章がとんちんかんであるならば、試乗記の精度は読み手が解釈すればよいと考えます。

雑誌記者や、自動車評論家の文章からは
読んで楽しく、乗った事がない車に乗ってみたくなる、そのような文章を求めたいものです。
それを、スポンサーに考慮するとか、メーカ側に遠慮している、というのならば
その真実の精度は、その文章から読み手が読みとる領域、だと思います。
本当の事を書いているつもりが本当のことではないことは、世の中、常識をすればわかります。

このような情報氾濫時代の中で、CG誌のNDロードスター担当記者の文章は
読む側の(わたしの)気持ちをどこかくすぐる、その味付けの妙に惹かれます。
この惹かれ具合は、CG誌のFC3Sの長期テスト記事以来、かも。

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