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自分にあった車とはを考える [新型車購入までの道]

落とし前をつけるといいましても、懐具合も寒いものでありますから、言うほどのことができるのかどうか。当時の私も、今の私も、それに関しての成長具合は乏しいものであります(苦笑)

当時の私が何を考えていたのか、悩むまでには至っていませんが、久しぶりに読み返すと我ながら興味深いものであります。


試乗を続けているわけですが
何のために試乗をしているのかと考えなければならないでしょう。

自分に合った車を買うための労力。

この「自分に合った」というところが、肝なのでしょう。

自分目線から見た、自分に都合の好さそうな車、なのか
自分目線だけではない、自分にも周囲にも都合が好さそうな車、なのか
自分目線は無い、人さまからどう見られるのかを優先した車、なのか。

どれが良くて、どれが駄目だということではなく
何を選択しているか、ということが、私には大事な事のように思えるのです。

心に響く車、というと抽象的な表現になります。

人の本能として、控えめに言って、自分にあったモノを手にした場合、
それから何かを感じ取る、そういった本能が自分にはまだある事を信じて(笑)
理屈抜きに、そういうことはあることです。
それでなければ、物の良し悪しを計る物差しすら、なくなってしまいます。
物差しを計る物差しがない以上、その始発点は人間の理性感性悟性でなければ
良し悪しの基準が目にしてわかるものではないはずです。
車の基準とて、運転してこういう運転感、操作感が心地よい、という現状を持ち出し
数値化していって基準としているわけですから
数値が先にあって、人間の感じる良感を作っているわけではないはずです。

それが、乗っていて楽しいと感じるからなのか、何か力を与えてくれるようなものなのか。
物理的、科学的に証明されないとしても、モノ作りに人が関わったモノから、
受け取ることができる、そういうこともあるのではないかとは、私の思い込みです。
だから、人はモノを買う時に、お金を支払うことができる、そういうことだろうとも。
支払うコストの低さと得られるもののバランスを考えるだけになってしまうと
それが辛くなるのは、モノから力を得る事が出来ていないことも理由になっているのかなと。

と言いましても、予算には限界がありますので、予算内での限定つきのことなのです・・・。

金額の上限を、絶対この金額、とは決めていませんが
心に秘めている(笑)金額の、その前後で車を考えていくと、
トルク数値が似通った関係になってきました。

下が12kgmから上が20kgmくらい。

20kgmを超えると、予算的に厳しいよなぁと考えてしまいます。
まだそのクラスの試乗をしていませんので、
乗ってみると、コレイイ・絶対ホシイ、と感じることができるかもしれません(笑)
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