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なぜ宗教か [雑感]

東京国立博物館の企画展を見学してきました。

「最澄と天台宗のすべて」

宗教関係でありますが、私はおそらくごく一般的な、多くの日本人がそうだろうなと頷いてくれる、無宗教のような生活環境であります。


そのような私がなぜ宗教的なものに興味を持ったのかは、日本人におけることであるのか、自然に対する崇敬の念というものはどこから出てくるのであろうかと。
現代においてと前置きをすれば、無意識なり意識的なり、その人の生活環境における宗教との距離感によって刷り込まれているものではないかと。
お東さんであるか自覚しているかどうかはともかく、お東さん的な考え方、行動の決め方をするということは、無宗教であるように見えるその人の生活環境に刷り込まれていることではないかと。
それを考えるにあたって、私には宗教に関する知識が圧倒的に乏しいので、このような企画展を利用していくわけであります。

歴史的に見ていくことは、私の物事へのとっかかり方として性に合っているようで、浄土宗であれ浄土真宗であれその根っこを辿っていくと、最澄の天台宗に源がありそうであると。

予備知識として、司馬遼太郎氏の空海を書いた小説「空海の風景」の上巻を読んでみました。

空海の、成り上がりを目指す中間階級出身、と司馬氏の観測になるほどと思わされます。空海の人タラシの一面や、山っ気と覇気を生涯持ち続けたというのは、空海の人柄を示しているのでしょう。
それに対して最澄は、空海から見れば、全てを与えられているような存在に見えたのでしょう。そう見られてもおかしくはないほど最澄は、南都六宗を排除するための仏教を成立させる役割を与えられていきます。この辺りは、最澄だけではなく空海も(空海の栄達を妬む人間からすれば)周囲から何かしらを与え続けられている人間とも受け取れます。
年上の人を敬え、という理由は、自分の幸運は全て年配者から与えられるものだと考える、とおっしゃっている料理人の方の理論は、歴史的に見ても正しいのだろうと解釈してしまいます。反資本主義でも、脱資本主義でも結構ですが、彼らにこのような考え方があるのか私は不安に思います。

最澄の悲劇的な面は、密教の輸入に手抜かったことでした。
そのことが最期まで、最も空海が最澄に嫌がらせをし続けたと考えることもできますが、喉に刺さった小骨のような存在になってしまった。
その点、遣唐使として同じ船便で中国に渡った空海は、仏教導入の肝は密教だと見抜いていた、最澄よりも早く見抜いていた点、優れていたのでありましょう。

私が疑問に考えている、日本人の自然に対する崇敬の念、についてには、まだまだ遠く及ばない次第であります。
資本主義経済社会の次の社会というものにも、ここら辺は関わってくることなのでしょうか。
バチが当たるとか、タタリがあるとか。人間が自然への行動に対して、そのように制限を設けている(いた?)ことは資本主義経済の止揚につながるような、人間の持っている原始的な思想なのかとか。ここら辺は宗教、仏教というよりもそれ以前の、八百万の神、といった日本の仏教導入以前のことにつながるのかもしれません。
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