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明治大正史 [雑感]

柳田國男著 明治大正史 世相篇 講談社学術文庫を読んでいます。

ネットだか何かの記事を読んで、宣伝広告マンにおすすめの一冊に「柳田國男 遠野物語」が挙げられていたのをみて、白黒をひっくり返し続けるのに、なぜ柳田國男氏の著作の遠野物語が有用なのか、疑問に感じていたことでした。

この明治大正史を読んで、その理由が少しわかった気がしました。

宣伝マンに必要な、物事の白黒ひっくり返しとは何か。
何が白でどこが黒なのかを観察しなければわからない。
柳田邦男氏の「民俗学」には、その「白・黒」の理由を観察するノウハウがあるのだろうと。

昭和のある時期までは、このような教養を持った方々がおられたのでしょうが
仕事の細分化、効率化によって、白黒の色の精度を考えるよりもひっくり返し続ける、
そのプロセスだけに注力することが「自分たちの仕事の最適化」である
と考えるようになった人たちが多かった。
その結果が、東京五輪の不手際につながるのだろうと、私は考えます。

人物を採用した最終責任は、日本のオリンピック協会にあるのでしょうが
ではそのオリンピック協会に人物を推薦した組織はどこになるのか?
大手宣伝広告会社がそこに関わらなかったとすれば、彼らは仕事をしていないことになります。

以前、ラジオゲストに大手宣伝広告会社出身の方がお見えになり、なぜ今の仕事をされるようになったのか、そのきっかけの一つに、東北の震災があったとお話しされていました。

大手宣伝広告会社に勤務していた時に、東京で震災に遭い、TV映像でみる津波の被害に宣伝広告を仕事としている自分たちこそ、被災地に有用な支援を行うべきだと意気込んで東京のビルの会議室で支援に何が必要なのかを話し合ってその会議に基づいて現地に乗り込んでいったところ,まるで役に立たなかった経験がある、と。

現地現物を知らずして、何を支援するのか。

ここに、宣伝広告マンに(差別用語か?)遠野物語を推挙する理由があると
改めて思い至る事ができました。

柳田國男氏の視点は、フラットです。
保守と進取の論理を把握して、物事をできうる限りフラットに観察し記録にとどめています。
明治大正時代の保守と進取であれば、江戸期の封建的な社会と明治以降の産業資本主義経済の思想を取り入れた社会との関係性を、フラットな視点で観察し続けています。
この観察を読めば、新自由主義経済の思想が国家経済に取り入れられたこの数十年の日本の社会の変化も把握する事ができます。
100年前の文献を読む事で、現代社会を理解することにも通ずる。
無論、社会の変化が把握できれば、そこに白と黒をひっくり返すプロセスをも把握することになりますから、社会の変化をビジネスにどのように応用するのかのヒントにもなり得ます。
ビジネスだけではなく、政策への応用も可能になりましょう。
柳田國男氏は「貧困」に関して、貧困が社会に存在するのが問題なのではなく、貧困の状態から立身出世をするなりして脱する機会をなくしている社会が問題なのだと指摘しています。
これは新自由主義経済の思想を取り入れた日本社会で言われている「格差社会」の本質を指摘していることです。
一度下の階級に組み入れられたら、そこから抜け出す事がほぼ不可能になる。階級社会の固定化がより強固になることが、新自由主義経済の思想の危うさであります。
この先にあるのは、大正時代の例を考えれば昭和軍閥の跋扈であり、昭和初期の戦争になります。

野党が、コロナ禍対策として困窮家庭に給付金を支給せよ、と自民党総裁選の中で自分たちの存在が埋もれるのを嫌うように景気の良い話を作っています。
ですが、柳田國男氏の観察から考えれば、貧困家庭に必要なのは一時の給付金だけではなく、もっと長期的継続的な、家が貧困から脱するための手段を政策として提供し続ける事であります。
それは教育の機会でありましょう。例えば、子供がある一定基準の教育を受け、それを身につける事ができれば、貧困から脱する事ができる社会を政治が示す事でありましょう。これは昭和の高度経済成長の日本社会の一部でもあったのでしょう。

ベーシックインカムなるものに私が賛同する気になれないのは、その制度によって階級の固定化が強固なものになってしまうと考えているからです。
好むも好まざるも関係なく、地主と資本家と労働者と官僚の階級に分かれている資本主義経済社会の下部構造を否認してみても、新しい社会を作ることはできないでしょう。
資本主義経済は、労働者の労働力商品化が核であり続ける限り生き残り続けることですし、ベーシックインカムが新しい社会、階級の非固定化を成しうると私は考えていません。
生活においてほとんど全てのものを他人の労働によって作られたものを自らの労働を賃金に換え、自らの労働した商品すらも賃金から支払って購入する。この経済システムの表面だけを捉えれば、ベーシックインカムなるものが資本家(投資家)にとって都合の良いものである理論である事が想像できます。
資本家(投資家)は、国家が国民から収奪する税金を使って、安定的に自分たちの商品を購入させ続ける、搾取する事ができる都合の良いシステムであると。
そして一度ベーシックインカムの家に生まれ付いたならば、強固に固定化される階級社会によって、その階級から抜け出せなくなる。
この理論はどこぞの学者様にお任せするとして、情操面で考えれば、上級国民となった人たちが、自分たちの席が限られたパイであることを意識的にも無意識的にも理解しているはずです。なれば、下級国民が「立身出世」をして、上級国民の階級になることを好まないであろうというのは、社会をよく観察すればそのような例えはいくつも出てくることでしょう。
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