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技術の変遷 [清酒の面白み]

生酛仕込みだ、山廃仕込みだと世の中には出ています。

お米を原料としたお酒を醸すための製造手段のことであります。




技術というものが、製作者のイメージを再現するための手段であると私は、自分の生活から体感していることです。

自然の理屈に沿って作っていたら美味しいものができた(できてしまった)、そのことを軽視するつもりは、一切ありませんが、できてしまったことを再現するのが技術でありましょうし、人間の知恵に通じるものではないかと考えています。

さて、大正時代の技術的な文献を読んでいると生酛と山卸廃止酛の関係性を、当時の技術者の方がどのように捉えていたかがわかる文章に出会うことができました。

それは、当時開発された速醸酛において使用する「乳酸菌の価格高騰」のため山卸廃止酛に切り替えて製造する蔵が多かったことから始まっています。

そこには、山卸廃止酛(山廃)に切り替えて腐造が多発したことは、山廃の製造技術に不備があると思われていること、新しい技術の山廃よりも、昔ながらの生酛による製造に優位があるのではないかと言われていることに技術的に反論をしています。

まず、なぜ腐造が発生したのかを、蒸米の仕込の取扱い方から言及をします。

生酛は、低温軟粒仕込であり、山廃は、初温急降極軟粒仕込と、おそらく技術者の方の造語でありましょうが、漢文の素養のある方の多かった時代の漢字というのは、事実を的確に捉え、表現することに適していると思わせてくれます。

生酛作りの仕込のやり方で、山廃仕込をすることが腐造の原因の一端であったこと。そして、山廃仕込の技術の理想帰着点は、「生酛仕込」であるということを明言されています。

現代においての生酛と山廃の技術的差異としてあげられるのは、生酛作りにおける煩雑な作業の省略が大きく焦点に挙げられています。

文献を読んでいる限り、山卸廃止酛の技術が開発された背景には、収穫された米の品質のバラツキが原因による腐造防止の目的が第一義に持たされていたことがわかります。その次に、煩雑な作業の省略化である。

伝統的製法というものが錬金術になるのも、資本の運動の効率化ゆえでありましょう。その錬金術の本質は、伝統的製法であれ、近代的製法であれ、資本の運動の都合の良いものを選択する。それだけのことであります。これを、「ブランディング」と考えるのか。今様に言葉にすれば「付加価値の高い商品を作り、社会に貢献する」と言えば、意識高い系に属することができるのでしょう。

そのような事柄をモノの本には、「物の吟醸が目立つようになった」と。

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