SSブログ

くだんの騒動。 [雑感]

JOKERは、民衆の「無意識による排除」によって生まれたと、わたしは映画を見て感じました。

そして、今回の件の騒動になるわけです。

2020年3月に書いた記事を、アップロードしました。


現状、日本の防疫体制について、数値から見て、
概ね良くできているといったのが評価ではないかと思われます。
限られたソースの運用や、ウィルスに対する疫学上の防疫の必要性と、
国際社会に対する政治的なパフォーマンスとしての防疫措置、
社会経済とのバランスをどこに置くのかの政治的判断等々、
よくできなかった点もあるでしょうし、そうでもなかった点もあるでしょう。
恥知らずと頑固者の人たちは、そのバランスを取ることで思想上の利益を得ることがない、
とち狂った、バランスの偏った意見を述べたがるので、彼らからは
満点をもらうことはないでしょうし、満点をもらえていないというのが、
社会上、良好な政治でもあるとわたしなどは考えます。

国によって対応に差異が出るのは、その国のお国柄で出てもいいのではないかと
イタリアの現状を紹介する記事を読んでそう感じました。
英国では、集合施設の閉鎖も観客を集めてのイベントの中止もしない。
イタリアでは、それをする。さらには、日常品以外の商売を禁止させる。
それはその地域に住む人々にとって、感染の拡大をさせないためには、どのような方法が良いのか。
一律で決める必要はないのだと、認識しなおしました。
日本のやりように、科学的ではない、合理的ではないと言うのは、それは理論だけを見て
人間を見ていないようにも思えてきました。
いいじゃないですか、几帳面な日本人らしく、大きな経済損失を抱えることになっても
付和雷同して社会を動かすというのは、個性ですよと。

今回の事態は、将来起こりうるかもしれない期限つきで室内から出ることができない事態の予習だと思えば、何を準備し、どのように行動をするのか。
そして社会経済とのバランスをどのように取るのか。
損益分岐点のすり合わせにも今回の騒動は、意義があるものでしょう。
そんなこというわたしは、人でなしです(大真面目)
<こんなことを書いている間に、欧州ではそのようになりました 2020/03/17>

資本主義の過熱さが社会に与える影響というものは、マルクスが観察した通りのことでしょう。
民族、国家主義が資本主義の暴走を抑える役割を果たすことになります。
と考えると、今回の騒動にしても全くの偶然であるというのは、糖分過多な観察かもしれません。
ですが、世の中の陰謀論というものにわたしは易々と与するつもりもありません。
ただし、どこかの誰かは、アクセルを踏むタイミングの頃合いは、
人類で制御しているという視点を持っているのかもしれません。

今回のウィルス騒動で露呈するのは、国家の利己心を効率よく発露できる国家ほど
防疫措置がうまくいく。
具体的に言えば、米国における大統領がオバマ氏であれば、
EU域内からの入国禁止の判断をできたか否か。
トランプ大統領とは思想上正反対であるが故に、判断は遅く、
さらなる人的、経済的犠牲が出てから決断をすることができたかどうか。
何も判断も決断もしないというのが、オバマ前大統領の政策方針であったことを考えると
あまり良好な未来を想像することができません。

話を戻します。

国家の利己的行為が、無意識として民衆にも影響を与えるのだろうと、
そういうことになるのかを観察します。

3月15日現在、欧州にて感染の拡大が急速に広まっています。

自然環境による減衰の原因を除いて観察をすると、国家間の移動の自由があるEU域内では、
感染の拡大は止まらないであろうと。
皮肉にも、感染の拡大を阻止しようとすれば、EUが行ってきた新自由主義的資本主義経済を
否定することから始めなければなりません。
グローバリズムと呼ばれる枠組みを、国家の枠組みまで縮小せざるを得ません。
引いて考えれば、近代国家の枠組みよりも以前の、地域にまで小さくする必要があるのかもしれません。

国家間の利己心を抑える、もしくは縮小させて資本の運動を阻害する原因を取り除くための
国家の枠組みを消したかのように見えたEUでしたが、
この騒動ののち、民族主義、国家主義の運動がさらに増していくことになるのは、
資本主義の暴走ゆえの必然なのか、このことに注視をしたいです。

国家の利己心というものが悪いものであると、わたしは言いません。

それは人という単位に落とし込んで考えれば、生活上のバランスの問題であろうと考えるのは
至って変わったことではないでしょう。

個人で考えれば、どういうことになるのか。

自己防衛のためにマスクをして、常に手洗いとアルコール洗浄に明け暮れ、
そういった生活を続けた人たちが
他人への無思慮な排除について、日常化することにより抵抗感が薄まるのではないか。
個人は、集まれば社会を組織し、その規模が徐々に大きくなれば、国家にまでたどり着きますし、
惑星規模の思想ともなりうるでしょう。
無思慮な排除とは何か?
その土壌は皆が持っているものでもあるし、それを抑えるのも誰もが持っているものでしょう。

国家の利己心と個人の利己心。

そういうことについて、自分の生活を省みることを軽視しない。

わたしが生活でできることは、加害者にも被害者にもならないように生活を送る。

わたしの能力では、このことを完遂できるようにするくらいが精一杯であります。
nice!(5) 
共通テーマ:自動車

nice! 5

ワクチン大阪、四天王寺 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。