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閃光のハサウェイを観る前に [雑感]

劇場版「閃光のハサウェイ」の公開が6月11日に延期されていました。

しかしながら、プロモーションでガンダムの劇場版の放映が深夜になされているのを
ありがたく観ています。

地元でも、「逆襲のシャア」が放映されていましたので、TVのHDDに録画をして観ました。


映像と、音響で考えれば、自室のiMac27インチでの視聴の方に質があるのですが、
画面サイズだけで言えば、リビングのTV画面の方が大きいのです。

音響は、BOSEのサウンドシステムをONKYOの普及機のアンプで鳴らしています。
変なアレンジはされていないけれども、情報量の減衰がないわけでは無い、といった程度です。
それをフラットな性質のスピーカーケーブルで調整して、音を再生しています。

地上波で見る「逆襲のシャア」の画質は、iMacで見るものよりも劣化していると直感でわかりますが
それでも大画面で見ることの意義というものを、感じられます。

「逆襲のシャア」は、この度公開された「閃光のハサウェイ」の主人公、
ハサウェイ・ノアが少年として登場しています。

今更ですが、「閃光のハサウェイ」のオープニングの場面は、
ハサウェイが「逆襲のシャア」において初めて登場した場面をなぞっていることに気が付きました。

「逆襲のシャア」においてハサウェイが地球から宇宙へ上がるシャトル内での出来事は、
「閃光のハサウェイ」においてなぞられています。
シャトルが故障し、父親が艦長を務める戦艦に救助され、ハサウェイの運命を決めてしまう少女、クェス・パラヤとハサウェイの会話からは、「閃光のハサウェイ」の物語の始まりと終わりを暗示している内容であったりします。

「逆襲のシャア」では、地球から宇宙へ。「閃光のハサウェイ」においては、宇宙から地球へ。
そして、クェス・パラヤと、「閃光のハサウェイ」の女主人公である運命の少女、ギギ・アンダルシアにおいても物語のキーパーソンとしての持たされている役割を考えてしまいます。

二人の男性との関係性で考えれば、クェス・パラヤは「逆襲のシャア」の主人公のアムロとシャアの間を、10代の少女の感性で勝手に行き来することで物語を進めることになります。
ギギ・アンダルシアにおいても、10代ではありますが、小説版においては、年齢に合わない深い考えを持ちながらもどこか運命論者として人の流れに身を任せることをよしとしてしまうというのは、揺れ動かれる男性としては身勝手さにも映るものでしょうか。
ギギ・アンダルシアについては、彼女が存在する側に常に幸運をもたらすことに。
クェス・パラヤについては、その逆となります。

「閃光のハサウェイ」は、「逆襲のシャア」の物語の正統な繋がりを持っていることが
物語の構成がわかるほど理解する事ができると考えます。
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