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司馬遼太郎記念館 2021年 2回目 [Polo AWCHZ]

企画展が新しくなっていましたので、行ってまいりました。

Poloの運転が、ますます楽しくなっています。


名阪国道を使って天理ICから西名阪道、松原JCT、東大阪南のコース。

天理の上りと下りの区間の運転が、かなり違います。
何が違うのかは、ステアリングを握る手の力の入れ具合。
手のひらの汗を感じるほどに握っていたのですが、その力加減がかなり軽減されています。
ペースをコントロールしているわけではなく、どの速度域でも随分とあん気に運転をしています。

どの状況でも、同じ状態で運転することを念頭にしているのですが
Poloを走らせていると、自分の運転が上手くなったように勘違いしてしまいます(苦笑)

今日は、燃費の状況もよく、特段、交通量が空いているなどといった
好条件があったわけではありませんが
燃費計はコンスタントに20Km/Lを超えていきます。

タンクローリー車で、丁寧な運転をされている車の後ろを走りました。
ライン取りというか、少し間を開けて、後ろをなぞっていきます。

気づくと、走行車線を走る前の車に簡単に追いつく速度なのですが
丁寧にGを制御されているので、車体は余分な動きがなく、ステアリングも無駄に動いていません。

勉強をさせていただきました。

丁寧な走りをする車を追走しながら、Poloの動きの今までの違いはと考えると、
旋回時にステアリングを、切り足し、切り戻しをする必要がないことに気がつきました。
なるほど、それは楽なはずですし、手のひらの冷や汗問題は運転手だったとわかることです。

あと中間加速の仕方です。これは走らせていて、困ることがありません。

さて、司馬遼太郎記念館の新しい企画は、河井継之助に焦点を当てた展示でした。

以前、山本五十六記念館を訪ねた際に、河井継之助記念館もあることを知り訪ねて以来、
書籍を読むタイミングを計っていたのですが、随分と後回しにしてしまいました(苦笑)

継之助記念館では案内員の方が、「坂本龍馬よりも早い開国の考え方を持っていた」と
郷土の誇りのように語られていたのを思い出します。

展示物を見た私の感想は、産業資本主義経済社会の導入における、
排除される古い社会や慣習の枠に、幕末期において、
藩政に早い段階から資本主義経済を導入していた河井継之助率いる長岡藩が
組み込まれたことへの歴史の皮肉さでした。

河井継之助の武士としての江戸時代人の教養や、
陽明学がどのように長岡藩の運命に関わってくるのか。

坂本龍馬が同時代の志士達と一線を画す思想があったとするならば、私は、
資本主義経済の社会への導入おける暴力的な面を極力、排除しようとしていたところだと考えます。

坂本龍馬が生きていれば、佐幕藩への仕打ちも、
明治政府は違う施策を取っていたやもしれません。
それは明治政府が恣意的な行動であった、と非難しているわけではなく、
明治政府は産業資本主義経済社会を導入する側として、ごく自然な振る舞いを、
暴力的に旧社会を排除する、そのような行動を取ったに過ぎません。
彼らには、それをする理由も、しなければ旧社会からの反撃を受けてしまう(のではないか)と
自分たちの行いをするほどに警戒もすることになります。
ゆえに、坂本龍馬の存在というのは、暴力的に(資本論通りに)社会に導入しようとする一派にとっては、目の上のたんこぶでありましょうし、その暴力に必要な武器弾薬を提供する側からも、商売の邪魔となったであろうと私は想像をします。

明治政府は中央集権、河井継之助は、いわば地方自治の力を強めた地方分権型の社会を
描いていたのでしょう。
今でいう、米国の共和党と民主党の思想ほどに違いがあります。喧嘩せざるを得ません。

歴史を見ることがますます楽しくなっていく今日この頃です。
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