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八丁味噌 [雑感]

地元の名産である、八丁味噌の資料館を訪ねてきました。

下調べもせずに訪れると、見学開始の時間まで1時間ほどありましたので
隣接する食堂で、昼飯を済ませながら時間を合わせます。

食べたものは、味噌カツ定食。
カツに赤味噌がかかっているタイプではなく、細長い揚げたトンカツに
赤味噌のタレにたっぷりとくぐらせて、衣に味噌タレがしっかりと吸わせてありました。

私が感動したのは、赤だしの味噌汁。
久しぶりに、しっかりと出汁の効いたお味噌汁をいただきました。


お味噌もそうですが、私が見たかったのは甑(こしき)などの道具。

杉で作られる六尺の大樽は、100年保つそうです。
その樽を占める「タガ」は竹製で、70年。
鉄製ですと、錆びるまで使えるそうですが数年で錆びて交換する必要があるとのこと。
1600年代やら1300年代から製造している味噌屋さんであります。

木桶で清酒を作って伝統産業だというロジックに対して、
若造がと言われれば、相手にしてくれただけまだマシな方でしょう。

技術的なノウハウがそこにあるのかということになります。
おそらくないのでしょう。
無いから、ストーリーに頼らざるを得ないし、木桶に対してもストーリーをつくり、
酵母にしてもストーリーを作らざるを得ない。そのようなことを妄想してしまいます。

赤味噌文化圏に居住する私としては、食堂で頂いた、出汁の効いた赤味噌のお味噌汁を
「美味しい」と思えるよう、脳内に、基盤が作られているようです。
これは、文化的なものでありますでしょうし、他所の地方、他所の国で通用しなくとも
「文化」でありますから、それで良いと思われます。

赤味噌文化圏(苦笑)において美味しいと思える清酒とは何か、とも考えてしまいます。
食中酒である以上、清酒とその地域の食文化とは密接しているものでありますし、
江戸時代、灘地域で製造された清酒が、江戸で大量に消費されていたことは、
江戸の食に合わせられてもいたはずです。
その江戸の食とは何かと妄想をすると、
家康が入居した際に三河の文化をごっそりと江戸に移したことと、
各地の大名が屋敷を江戸に構えて、大名家臣の食の文化も江戸の食事に影響を与えたと推察すると
江戸の味というのは、三河地域を中心とした味付けのごった煮ではなかろうかと。

それでは赤味噌に合う清酒というものは、江戸時代の清酒の味の系譜も引いているのでは無いか。

そのような妄想にも辿り着きます。

お味噌汁をいただいて考えたのは、
私は、シンプルな味付けのものが好みだと思っていましたが
少々違っているのかもしれません。

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