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古代窯 [雑感]

愛知県陶磁美術館へ。

企画展と、それに伴う連続講座(無料)の拝聴に行ってきました。


この手の講座は初めての参加で、どのようなものなのか。
有料講座に出るには、ハードルが高いような気がしますので
門外漢の素人の私にとっては、このような講座形式が参加しやすく感じます。

新企画展の、日本陶磁の源 陶邑窯 猿投窯の前に立ちはだかった巨大な壁
に合わせた連続講座。

わたしは、陶磁器に関しての前知識も基礎知識も持ち合わせていませんが
歴史的に物事を把握する、そのような考え方しか身につけていないので
一つずつ、古いことから見ていこう、聞かせて頂こうという姿勢の一環で、参加させていただきます。

陶磁器の芸術的な価値を私がどれだけ認識しているかと言われると、それは皆無でして(汗)
そのような私が陶磁器に求めているのは、口に入れるものに対しての機能性、を考えています。
こちらの方が、我欲を入り込ませる余地がなさそうだというのが理由です。

大阪南部で発掘された、日本古代期における最大の窯業地であった陶邑窯。
その理由は、消費地となる大和政権との立地的関係にあった、というお話に
フランスワインの隆盛の事情と合致するものを見ました。
ボルドーワインが隆盛を迎えたのは国内消費ではなく、
イギリス王室への輸出によるものであった。
イギリスへの輸出に対して、ボルドー地区が立地的に優れていたことから
生産量も増え、消費地の要求に応じることができるような生産技術も高まっていった。
これは、江戸期から明治、大正、昭和期における日本酒の主要生産地の移り変わりを見ても
同じことが抽出されると考えます。
江戸初期、江戸時代を通じて最大の消費地であり続けた江戸に対して
伏見の蔵の酒が調法がられます。その理由は、海運でありました。
そして、伏見の次に、灘蔵が更なる海運の発達による江戸への「輸出」をおこないます。
生産量が増加するのは、生産に対する地理的条件が整っていることに加えて、
消費地への輸送にどれだけ利便性を有しているのか。
美味しいから選ばれるよりも、輸送に都合が良い立地で生産されることの方が優先され、
美味しさはその後に技術の高まりとともに、消費地の要求性能に応じた酒質となる。
ゆえに、灘から江戸まで海運で運ばれる距離的、時間的経過に耐えうる酒質が
美味しいとされてきましたし、お米から作られる現代の醸造技術の基礎は
そこにあるのでは、と考えます。

醸造技術と古代窯とは関連性が薄いように思えますが、
醸造技術の発展には水漏れのしにくい「甕」の登場が必須となります。
存外に近い関連があったのだと知ることができました。

つづく。

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