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羊羹とワックス(仮) [Polo AWCHZ]

使い慣れているワックス(仮)をPoloに施工しています。

試行していた液剤と何が違うのかを観察していると、
艶の出方に違いがあるように見えました。




艶というものの出現が科学的にどのような状況を示しているものか、
不勉強で理解をしていませんが、艶が出ている状態というのは
物理的変化の結果であろうことは、想像ができます。

その艶を見て、人間が何かしらの判断材料にできることを考えれば
材質の変化の進行具合を知る物差しではないのか、などと妄想をしています。

逆に捉えれば、どのような艶が出ていれば人間は満足をするのか。
その艶を出すために、本質から外れたプロセスを踏むことになるというのは
ビジネスの課題にもなりますが、効率的に集金をしようと考えるのは、
資本主義経済社会の性でもあります。

私は観察することに注力をするしかありませんので、私が見える範囲で見ていると
艶というものに対してのアプローチがそれぞれ微妙に違うとわかります。

大別をすれば、艶の出方が自然に感じられるか否か。

この自然に見られるということも、科学的に分析をする必要がありますが
私は外連味の少ない状態を、そのように捉えようとしています。

食べ物を例とするならば、
プロから食べ頃ですのでとお勧めされた羊羹を口にした感想は、
味わいに尖ったものを感じられないことでした。
どの甘さが印象強く口の中で感じられることもなく、
穏やかな主張の少ない味わいを感じられる。
主張が少ないから、印象に残らないことはなく
口にした美味しさを思い出すことができる味わい。
羊羹だけではありませんが、作りたてだけが美味しいのか、
おこがましいことですが、そういうことを学ばさせて頂いている気がします。

食べ物に関しては、砂糖、塩、油と、口に入れた瞬間の刺激の強さが
効率的に集金をするために必要とされているものですが、
それらが食べ物の本質を捉えているのかと考えると、
やはり、集金の効率と食べ物の本質とは分けて考える必要もありますし、
自然であるのかないのかと大別をすれば、自然の味わいからは離れざるを得ないだろうと。

そこで私の拙い経験からは、自然に感じられる艶というものは、
ぱっと見の派手さのある状態ではないだろうということです。
おそらく、艶のある2台を並べれば、最初に目を引く状態ではないもの。
しかしながら、よくよく見れば、艶の深みを感じることができるようなもの。

ワックス(仮)を施工すると、
技術のない私であってもそのような状態に近づいたものになる印象を持ちます。
ぱっと見の派手さはないものも、艶が出ている。
いえ、技術があればワックス(仮)でもぱっと見の派手さを演出することはできるかもしれません。
やはりそこは、技術による再現性の問題でありましょう。
どのような状態を再現したいのか、技術の問題です。
ストーリーになりやすいプロセスとは違います。
モノを作るのであれば、これが根幹になるのではなかろうかというのが
私の妄想です。

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