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ババを引くのは誰だ [雑感]

このタイトルですら、蔑視表現にされるのですかね?

隣の人を助けるという倫理を強制的に押し付けるというのが、
キリスト教世界の教養でありましょうが
少々、億劫になってきましたな。

しかし、世界の主流の教養がキリスト教的な物である以上、
それを押し付けたくなるのも人のサガでありましょう。

多様性を認めるというのならば、(日本)仏教的教養というものを
排除する理由はどこにあるのか。
死んでしまえば、皆、空、ゼロ、無になりますよと。




オリンピック組織委員会は、政府、官邸関係者の意向に沿って
後任へと打診があった川淵氏の報道に対して、
まだ後継者は決まっていない白紙だと言ったようです。

オリンピックは政治と切り離した物であるという理念は、
うまく回らないものです。

行政としては、オリンピックを中止に。
政府としては、解散総選挙を念頭にして、中止にせよ、延期にせよ、
選挙のタイミングを含めた判断をしたい。
森氏の心情を汲み取ることができる人物の多いであろう、組織委員会では
森会長に中止を進言することが出来るだけの胆力と、非人間的な心根を持った人がいない。
IOCにしても、欧米において感染拡大が、著しい沈静化をしていない現状で
選手を送り出してどれだけスポンサーが納得することができる結果を出すことが出来るのか。
地域により選手の練習量に差が開いている以上、どこまで開催にこだわることが出来るのか。

スポンサーに、早々に違約金を支払う交渉を始めた方が結果的にひどいマイナスにはならない。

そのような判断をしている人が増えているのではと憶測します。

開催したところで、感染が拡大したとメディアに叩かれ、
中止にすれば、なぜ中止にしたのだと叩く。メディアは、お金になればどちらでも良いでしょう。

組織委員会の会長に、その責任を全ておっかぶせたいというのがことの発端ではないかと。
ですが、森会長の政治力、調整能力の前に事務方にせよ政府官僚にせよ手が出ない。
ゆえに、森氏を首相からおろしたパターンを今回も利用しようと。
森氏の失言を誘い、メディアによる国民の感情操作。
これは、騒動の早い時点で芸人が自らの広告収入動画において、
聖火ランナーを辞退すると発言したことで把握できます。

彼は、世渡りが巧妙です。
彼の観点から損得勘定をすれば、一地方都市での聖火ランナーを辞退したところで
彼の経歴にマイナスにはならない。それどころか、上記のオリンピック中止の流れの中で
聖火ランナーでいることにプラス査定がない。ましてや現状の仕事であるワイドショーにおいて
権力者側に批判的発言を視聴者=大衆の立場からコメントをするという仕事において
聖火ランナーであることはマイナスである。
マスの支持を失うことがないためには、自分から率先した行動を起こすことがプラスである。
そしてこれは策の通り、彼は最小の行動で最大の結果を得ます。
たかだか一回の動画の発言は、それから数日はワイドショー、ニュースにおいて
辞退をした発言だけがトピックとして扱われます。
わずかな労力で彼は、大衆の支持を失う事を避けることになりました。
もう一度言います、彼は世渡りが巧妙です。
世の中の空気を読むセンスがあり、それを自分の損得に置き換えて行動することができます。

森氏が、開催するにせよ中止にするにせよ、引き受けるはずだった責任の所在は、
次の会長に受け継がれることになります。
川淵氏はそれを承知していたことでしょう。年齢からすれば、これ以上の栄達を考える必要もなく、
汚れ仕事を引き受けるおつもりもあったでしょう。
しかし川淵氏では、私の見立てでは、中止にするも開催にするも半々、の心算ではなかったか。
Jリーグや、プロスポーツの新自由主義的な経済システムの導入についても
十分理解を示しておられましたから、オリンピックを中止にすることについても
やぶさかではなかったはずですが、それでは困る人たちがまだいた、そういうことでしょう。

となれば、中止にする決断しかしない、もしくは考える能力を発揮するつもりのない人物を
トップに据えたいと考えるのも、新自由主義経済のシステムを導入するために
小泉純一郎氏を首相に据える事をしたパターンから関連して考えてしまいます。

いずれにせよ、汚れ役を引き受けるだけの胆力があるのか。
それとも、名誉職に目を奪われるのが人のサガなのか。
まだ若いオリンピアンが就任するのが最も、憐れ、であると私は想像しています。
いや、その逆で、相当強かであるかもしれませんが。
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