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平日のお休みに [Polo AWCHZ]

緊急事態宣言発令前のこと。

県内の北から南まで縦断してきました。

県内北部で所用を済ませた後、時間にも余裕があったので
都市高速を北から南まで使って移動をしました。

思いつきとはいえ、このような場合にもPoloは十分な性能を見せてくれます。




自動車というものは、「自由」を得るための道具である。
そのような考え方もあることを知り、移動の自由というものについて
わたしは無意識に手に入れているのだと、思い当たります。

この無意識に手にしている自由、というものの存在は何であるのか。

一例を出せば、この日のような、思いつきで北から南まで130キロほどを走破すること。
このことでありましょう。

内燃機関の自動車であれば、社会インフラが行き届いているので
思い立てば、移動の自由を阻害されることなく行使することができます。

電動車というものに抵抗感がある人がどれほどいるのか知りませんが
完全電動車の航続可能距離が抵抗感を感じる理由ではないかと。
この当たり前に得ている自由度を阻害されることを、
無意識に感じているからかもしれないと妄想をします。

逆にいえば、内燃機関の自動車のような航続可能距離の自由度があれば、
電動車の普及も加速することでしょうし
社会が無意識に得ているこの自由度の閾値を意図的に下げるような喧伝をするというのも
電動車の普及につながるのだと考えてしまいます。

航続距離が比較的短かろうが、給電時間を取られることになろうが
それらを論理的に考えないで済む、わかりやすい「速さ」というのも
普及へのギヤも一段上がるのではないでしょうか。

わたしも、今日のPoloの扱いのように、
唐突に思い立った目的地へ、何事もなく当たり前に行くことが出来る自由度が
電動車に備わるのであれば、電動車を購入するという選択肢を排除する理由も減ります。

ただ、その「自由」を得るために、どれだけCO2の排出量が増やされることになるのか。
内燃機関と電池の入れ替えで、トレードオフになるようなものなのか。
それとも排除するのではなく、併存することには意味がないのか。

そんなことを考えながら、平日の休日を過ごしていました。

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