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資本主義経済社会への制動 [雑感]

資本主義経済社会を観察したマルクスの資本論において
資本の運動を制限する要因は、
産業の立地する環境、労働者の権利、伝統的な社会風習が挙げられています。

さて、新自由主義のイデオロギーが蔓延して20数年、行きすぎる資本主義経済の活動に対して
頑固者も恥知らずも、それを意識をしているかいないのか、
ブレーキをかけているように見受けられます。

おそらく、自分たちのイデオロギー、もしくは脳の心地よいフレーズをつなぎ合わせていると
していることは、資本主義経済へのブレーキをかける役目を担っていた、といった事後的な
結果論でありましょう。


頑固者にせよ、恥知らずにせよ、同じ目的を持って(自己認識できているかはともかく)いる
のにも関わらず、互いを罵り合う事が日常茶飯事になっていることに
何故だろうと疑問に考えていました。

すると、新自由主義経済政策に対して、彼らは彼らなりのアプローチにおいて
ブレーキをかけているのだということに気がつきました。

頑固者の方々は、環境保護と人権を振りかざしながら自由を尊び、
恥知らずの方々は、伝統的な社会風習、封建的な社会の風習を振りかざしながら、自由を尊ぶ。

お互いが認識しているとは私は観察していませんが、
最終的には同じことが目標になってしまっているというのが、
資本主義経済社会の構造の厚みでありましょう。

同じ目的を持っているのに、手法が正反対のためにお互いを罵り合う事ができる。

これに気がつく事で、私の中でスッキリしました。

今の世の中のスタンダードは、民主主義、自由主義、資本主義でありましょう。
資本主義経済社会にとっての重要度は、この上記の逆になります。
労働者の居住と移動と職業選択の自由が保証されるのであれば、
政治形態は資本主義にとっては、さほど重要ではないのではないか。
私はそう観察します。
現状、民主主義政策である方が、資本の影響を持たせる事がしやすいメソッドがあるので
うまく民主主義政策を活用するというのが、資本主義の思考するところでありましょう。
香港の民主化運動は、自由主義と混同されがちでありますが、
資本の運動の側から見れば、自分たちに都合の良い労働者の確保や、
資本の運動の空間が用意されるのであれば、それが民主主義政策を建前とした自由主義を尊ぶ
政権が今のところ都合が良いのでその選択をしているのでありましょう。
仮に非民主的な政策の地域で、資本の運動がより効率的に行えると多くの人の認識があれば
彼らは躊躇なく民主主義の導入を見送るというのが、資本家の心の声でありましょう。

資本主義が行き過ぎると、国家と民族が反発をし、三つのバランスを取ろうとする。
うまく取れれば良いのですが、
近代史を観察していればうまくいかずに戦争ばかりをしているのが
人類の歴史でもあります。

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自分の生活の中で、どうしていくものか。
考えるふりをするわけです。
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