愛知県陶磁美術館 [Polo AWCHZ]
県外への不要不急の移動への自粛が発令されたあるお休みの日に、
愛知県陶磁美術館へ行ってきました。
特別展、The備前ー土と炎から生まれる造形美ー、を観賞するためであります。
内容は、先日見に行った兵庫陶芸美術館で展示されていたものの
キャリーオーバーであったようで、
どこかで見たことがあるなと既視感を感じていたのですが、
2度目となるのですから、そりゃそうです。
備前焼の展示も良かったのですが、私としては常設展の展示が非常に好みであります。
前回、コロナ禍騒動前に訪問した時もずいぶん楽しんだのですが、
常設展の大筋の内容は変わらず、展示物の変更が少々あるのか、
面白く見学させてもらえました。
私としては、古代猿投窯の作品を見ることができたり、
歴史の流れが作品で鑑賞できたり、
別の地域の焼き物を、同じ空間で対比しながら観察することができることが、
面白く過ごせました。
観察したところで何がわかるものではありませんが、
それは私の知識不足ゆえに起きるものです。
目に見えるものも見えないものも、自分の視野が境界線になっていると。
ですから、
考えるの語源とも言われている、モノと相ムカウ、ということを意識していました。
それと縄文式土器について、見飽きることがないな、とも思えます。
展示作品の説明の文章に、
デザインをするとは大量生産を想定した製品としての形を決める、
といったような文言があったように覚えています。
ということは、デザインをする、この考え自体は近代的なものだったとも考えられます。
縄文式土器を見ていると、デザインをする、という思想ではないように感じました。
それは資本主義的な見方をしない、脱近代的な思想を知るためのものでもありましょう。
いえ、知ると書きましたが、資本主義経済の社会で生活をしている私がそれを知るについては、
ハードルが高いようにも感じています。
愛知県陶磁美術館へ行ってきました。
特別展、The備前ー土と炎から生まれる造形美ー、を観賞するためであります。
内容は、先日見に行った兵庫陶芸美術館で展示されていたものの
キャリーオーバーであったようで、
どこかで見たことがあるなと既視感を感じていたのですが、
2度目となるのですから、そりゃそうです。
備前焼の展示も良かったのですが、私としては常設展の展示が非常に好みであります。
前回、コロナ禍騒動前に訪問した時もずいぶん楽しんだのですが、
常設展の大筋の内容は変わらず、展示物の変更が少々あるのか、
面白く見学させてもらえました。
私としては、古代猿投窯の作品を見ることができたり、
歴史の流れが作品で鑑賞できたり、
別の地域の焼き物を、同じ空間で対比しながら観察することができることが、
面白く過ごせました。
観察したところで何がわかるものではありませんが、
それは私の知識不足ゆえに起きるものです。
目に見えるものも見えないものも、自分の視野が境界線になっていると。
ですから、
考えるの語源とも言われている、モノと相ムカウ、ということを意識していました。
それと縄文式土器について、見飽きることがないな、とも思えます。
展示作品の説明の文章に、
デザインをするとは大量生産を想定した製品としての形を決める、
といったような文言があったように覚えています。
ということは、デザインをする、この考え自体は近代的なものだったとも考えられます。
縄文式土器を見ていると、デザインをする、という思想ではないように感じました。
それは資本主義的な見方をしない、脱近代的な思想を知るためのものでもありましょう。
いえ、知ると書きましたが、資本主義経済の社会で生活をしている私がそれを知るについては、
ハードルが高いようにも感じています。