目に見えなければいけないのか [Polo AWCHZ]
お味噌汁を作る動画を見ていて、野菜スープを作ってからお味噌を入れる、といった
段取りを見て、合点がいきました。
私は、味噌汁をインスタントで済ませるのが常でありますが(おぃ)
乾燥野菜を入れても、思ったような(期待したような)野菜の旨味を感じられない
お味噌汁にしかなっていませんでした。
乾燥野菜とインスタントでは、期待値とそぐわなかったのかと考えていましたが
野菜をお湯で戻すタイミングが、野菜の旨味を出せないやり方になっていた。
その野菜スープにしても、野菜を煮るのではなく、蒸すやり方の方が塩梅が良さそうであります。
インスタントのお味噌汁を作った後に、乾燥野菜を投入していましたが、
それでは野菜の旨味を引き出すことができなかったようです。
野菜スープを作ってから、温度も少し下げた状態でお味噌を入れると風味が飛ばない、
との解説に、なるほど、自分のやり方が不味かったのかと思い当たりました。
いや、物事の順番というのは、大切でありますな。
このやり方に慣れた頃に、以前のように粉末と乾燥野菜、お味噌に一緒に湯をかけて
戻してみましたが、なんというか、味噌汁のコクと風味が薄く感じられました。
さて、私の舌はどこまでの性能があるのでしょうか(苦笑)
Poloに乗り込む際も、手順をルーティーン化させています。
Poloに限りません、車という乗り物に乗る時の自分の行動を、
できるだけルーティーン化させようとしています。
別に難しいことではなく、当たり前にやることをあえて順番化することによって
その手順が抜けた時などは、車における運転だけではなく、
全般的に集中力が散漫する日でもあると、なんとなく認識することができるようにするためです。
M/TにしてもA/Tにしても、最初のタイヤの1回転を「そろり」と発進させることが、
肝ではないかとも、身についたことです。
こういうものは、見様見真似です。
毎日、毎回、このことができるわけでもありません。
今までの経験上、このルーティーンができなかった自分を観察していると
集中力が散漫である場合が多く、そのような時は、前方の信号機のパターンを悪く感じたり、
ミラーの死角にいる車やその他に気付くのが遅れたり、いわゆる「ひやっと運転」に
なりやすいパターンだと認識しています。
自分の調子を図るためにも、ルーティーン化している動作を決めていることで
調子の判断がつきやすい、変化に気付きやすいことになるのだろうと。
この考えの延長上で、車の操縦装置の配置に関してもオーソドックスな型の方が
私の好みに合うということにもつながります。
なぜこの配置がオーソドックスになったのかという、経験知を疎かにしていない
革新的な配置というものがあれば、私はそれはそれで結構なものであります。
自動車が内燃機関を含めて、各所が電動化していくのは結構なことで、
目新しい装置についても興味を惹かれるものですが
それは自動車の安全に対する今までの経験知というものから
外れているのかいないのか。
既成概念を打ち壊せということは、どういうことなのか。
何でもかんでも打ち壊すことがお金儲けの手段だとすれば、そう言わざるを得ません。
特段、主義主張があるわけではないでしょう。
あと車に関しているのは、扉の閉め方です。
扉と車体の閉まり具合を予想しつつ、
初めての車は予想ができませんから閉め切る寸前までドアノブに手を添えて、
あとわずかのところで、ボムッと閉める。
リアのハッチも同じこと。力任せにバッタンッと閉めない。
ここら辺は、Poloのリアのハッチのダンパーはしっかりとした反発力があるので
力を入れて閉めようとしても、軽く動かすことができないので、ボムッと閉まります。
簡単に閉められないのはドアに指を挟まないとか、何かを挟まないためにもこのような
設定になっているのでしょう。
伝統の難しさの問題は、目に見えないところにあると、考えさせてもらえます。
段取りを見て、合点がいきました。
私は、味噌汁をインスタントで済ませるのが常でありますが(おぃ)
乾燥野菜を入れても、思ったような(期待したような)野菜の旨味を感じられない
お味噌汁にしかなっていませんでした。
乾燥野菜とインスタントでは、期待値とそぐわなかったのかと考えていましたが
野菜をお湯で戻すタイミングが、野菜の旨味を出せないやり方になっていた。
その野菜スープにしても、野菜を煮るのではなく、蒸すやり方の方が塩梅が良さそうであります。
インスタントのお味噌汁を作った後に、乾燥野菜を投入していましたが、
それでは野菜の旨味を引き出すことができなかったようです。
野菜スープを作ってから、温度も少し下げた状態でお味噌を入れると風味が飛ばない、
との解説に、なるほど、自分のやり方が不味かったのかと思い当たりました。
いや、物事の順番というのは、大切でありますな。
このやり方に慣れた頃に、以前のように粉末と乾燥野菜、お味噌に一緒に湯をかけて
戻してみましたが、なんというか、味噌汁のコクと風味が薄く感じられました。
さて、私の舌はどこまでの性能があるのでしょうか(苦笑)
Poloに乗り込む際も、手順をルーティーン化させています。
Poloに限りません、車という乗り物に乗る時の自分の行動を、
できるだけルーティーン化させようとしています。
別に難しいことではなく、当たり前にやることをあえて順番化することによって
その手順が抜けた時などは、車における運転だけではなく、
全般的に集中力が散漫する日でもあると、なんとなく認識することができるようにするためです。
M/TにしてもA/Tにしても、最初のタイヤの1回転を「そろり」と発進させることが、
肝ではないかとも、身についたことです。
こういうものは、見様見真似です。
毎日、毎回、このことができるわけでもありません。
今までの経験上、このルーティーンができなかった自分を観察していると
集中力が散漫である場合が多く、そのような時は、前方の信号機のパターンを悪く感じたり、
ミラーの死角にいる車やその他に気付くのが遅れたり、いわゆる「ひやっと運転」に
なりやすいパターンだと認識しています。
自分の調子を図るためにも、ルーティーン化している動作を決めていることで
調子の判断がつきやすい、変化に気付きやすいことになるのだろうと。
この考えの延長上で、車の操縦装置の配置に関してもオーソドックスな型の方が
私の好みに合うということにもつながります。
なぜこの配置がオーソドックスになったのかという、経験知を疎かにしていない
革新的な配置というものがあれば、私はそれはそれで結構なものであります。
自動車が内燃機関を含めて、各所が電動化していくのは結構なことで、
目新しい装置についても興味を惹かれるものですが
それは自動車の安全に対する今までの経験知というものから
外れているのかいないのか。
既成概念を打ち壊せということは、どういうことなのか。
何でもかんでも打ち壊すことがお金儲けの手段だとすれば、そう言わざるを得ません。
特段、主義主張があるわけではないでしょう。
あと車に関しているのは、扉の閉め方です。
扉と車体の閉まり具合を予想しつつ、
初めての車は予想ができませんから閉め切る寸前までドアノブに手を添えて、
あとわずかのところで、ボムッと閉める。
リアのハッチも同じこと。力任せにバッタンッと閉めない。
ここら辺は、Poloのリアのハッチのダンパーはしっかりとした反発力があるので
力を入れて閉めようとしても、軽く動かすことができないので、ボムッと閉まります。
簡単に閉められないのはドアに指を挟まないとか、何かを挟まないためにもこのような
設定になっているのでしょう。
伝統の難しさの問題は、目に見えないところにあると、考えさせてもらえます。