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陶磁器と殖産 [雑感]

資本主義経済とはなんぞや、というのは、このブログでは関係のないことでありますが
たまたま興味を持った事柄にも付随している問題でもありますので
至らない知識を、撒き散らしているわけであります。




陶磁器に、興味を持ち始めております。

良いものが欲しいといったことではなく、
私が必要としている性能を有している商品が欲しい、
といった明確な到達目標がありますので、
そのことが色々迷うことがない理由なのだと感じています。

全く知識のない私でありますが、幸いに、居住地域周辺は、陶磁器の生産に関して
日本で有数の生産地であるということから、探そうと思えば得られる知識は多量にあるという
ありがたい環境でありますし、そのような際にもPoloの運行によって、
行動範囲の確保にもつながっているという現状です。

色々ありがたい。

その中で、江戸末期に殖産興業として、陶磁器産業が藩によって推奨されていたということも
知ることができました。
明治維新による江戸幕府から、明治政府への転換は、経済システムの導入が主目的であったのだと
資本主義経済というものを観察しながら得心ができます。
では明治維新がなければ経済システムの転換は起こらなかったかといえば
明治維新の前に、すでに江戸末期において、コメ中心の商品経済が破綻をきざしており、
貨幣を直接得ることができる「殖産興業」への転換を進めていたということで理解ができます。

ただ、ドラスティックさと当時の国際情勢において、日本が近代国家として必要な
植民地政策を取れるだけの近代化がなし得たか、このことは正確に想像をしなければなりません。

コメ中心の貨幣経済(商品経済)から、貨幣中心の商品経済への移行。
陶磁器産業は、そういった経済政策の一面もあるのだと知れると、
これもまた興味深いものであります。

貨幣中心の商品経済へと移行することが、江戸幕府の寿命を意味していたのならば
その貨幣中心に移行することを、資本主義的な思想を、社会としてどのように抑制していたのか。

昨今の、新自由主義の広がりにおいて、資本主義の暴走(本来の姿)があらわになっています。
その暴走を押し留めていた、もしくは中和する力を持たされていたもの、
資本の運動の効率から見れば、運動を阻害する社会の仕組みは、どのようなものだったのか。

私が欲しいのは、器であります。
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