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JOKER [雑感]

映画JOKERを観ました。

いろいろ考えさせられることの多い内容でした。IMG_1491w.jpeg

TVメディア、エンターテインメントを見る時間が少なくなっているここ数年、
映画の演出のちょっとした驚かせ具合にも、胸がドキッとするほどに敏感になっています。
なので、娯楽を見ることに特段刺激を求めなくなっていますので
ラジオで落語を聞くくらいが今の私にはちょうど良かったりもします。

そんな私が、わざわざパッケージコンテンツを視聴しようと思ったのは、
映画JOKERを、岡田斗司夫氏が解説する動画を観て興味を抱いたからです。
新自由主義というものに対してだけではない批判がその映画には観られるのではないかと。

いくつかの階層になって仕掛けられている話の筋を見てとる事ができました。
主人公のJOKERに同情を寄せるとそこにも罠があり、
JOKERを排除する感情にも罠が仕掛けられている。
私がドキドキしたのは、シックスセンスを思わせるような現実と非現実との映画での表現。
主人公の妄想なのか、それとも現実なのか。
どこまでが現在とつながって、どこまでがつながっていないのか。

主人公のJOKERへの変化の際はどこだったのか。
私は、自宅でTVショウに出る準備をしている鏡の前に座ってピエロのメイクをしている時であろうと。
鏡の前でメイクをしている主人公の自宅に、自分を陥れた同僚だったピエロの男が訪れる場面。
部屋の呼び鈴が鳴った後、主人公は鏡台の近くにあったハサミを有無を言わずにズボンの尻ポケットに殴り入れます。
それは、呼び鈴の音だけで自分の部屋を訪れる人間を確信するだけに至る推理を行い、
自分の取る行動の結果を計算し終えていたからでしょう。
それまでのうだつの上がらない主人公では、なくなりました。

これは実感できます。
何かが頭の中で繋がった奇妙な感覚。

新自由主義経済がさらに広まれば、現状でも、JOKERを排除したい(自分の手を汚さずに)と
無自覚に考えるのは、おそらく割の良い(相対的に)仕事にありつけている人たちに多いのでしょう。

もっと平坦に言えば、現在報道され続けている感染症に対する態度が
JOKERへの、その人の社会的地位から導き出される解答、そのものになるでしょう。

JOKERを排除したいと思っている人たちにとって
JOKERの取る行動とは、その名の通り、全くの不合理なものでありましょう。
無論その視点は、JOKERの側から見れば、心理的に合理的な行動でもあります。
<加筆修正2020/03/16>

ですからJOKERはTVショーに出て、司会者を撃ち殺す。
自分を貶めたから私怨による衝動だけが理由ではないでしょう。
あの司会者は、資本主義社会における資本家の代弁者であり、主人公の人生を搾取をした側の人間。
その資本家の立ち位置が、保守的な思想の番組であったというのは、
米国におけるTVショーの歴史的な事実も表現しているのか。
主人公の人生を搾取したのは、強盗するストリートチルドレンも然り、
地下鉄内で主人公を襲うエリートサラリーマンの三人組も然り。
無抵抗な主人公にとって彼らは不条理な存在であり、加害者であった。
そしてその立場を入れ替えるにはどのようにすれば良いのか。
それが映画JOKERに描かれているというのが、公開当時、米国において警備員を配置してくれと
要求した人たちの肌に感じた危機感だったのではないのか。

と、ここまでは、件の騒動が大きくなる前に書いていたものです。

ウィルスを自分の周囲から排除する、といった、素直な防衛本能が、
個人の利己心の拡大が、国家の利己心を拡大することにならないか。
その関係性はどうなのか?

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