物は使いよう [雑感]
iPhone8が手元に来てから数ヶ月。
スマートフォンは、Android機で使っていたとはいえ、
どのように使っているのかを、自分の生活を振り返ってみます。
インターネット空間の情報を得るための端末機、というのが
私にとっての、iMacでありiPhone8でもあります。
iMacにおいては、音楽再生機としての性能も求めています。
自分がどのように使っているのか、というと
情報をどの程度調べるかによって、この二つを使い分けているのがわかります。
手元には、広辞苑があります。
情報の信頼性というものに価値をおかないときは、スマートフォンで調べます。
iMacの電源を入れて、というのは、この操作の分だけ手間がかかるという認識がありますし
この手間をかけても調べたいというものが、iMacの画面に並びます。
意味のわからない、全く想像がつかない単語は、まずは広辞苑。
うる覚えで、「確認」したいときはスマートフォン。
知らないということについての深度の違いで、端末機を変えているとわかります。
調べ物についても、スマートフォンでのネット検索は、大まかに。
細かく、画像検索などもしたい場合は、iMacでといった使い分けをしていました。
興味深いのは、iMacで作業をしていても、ちょっとだけ調べたいと思えば、
タブを新しく開くのではなく、側にあるiPhoneを使っていたりします。
これは私が複数のタブの画面を使い分けるということに慣れていない、これがまずあるでしょう。
次には、このブログの推敲でもよいですが、画面を動かすと集中力が途切れてしまいそうで
作業画面はそのままに、iPhoneの画面を別に開くといったことを、
無意識にしているのかもしれません。
さてこれからの生活に、タブレット端末=iPadがどのような位置付けになるかを
自分の生活を振り返って考えると、いまのスマートフォンの使い用と入れ替わるだけならば
さほど必要な製品とは言えないのかもしれません。
携帯性を考えれば、私の生活で必要な性能はスマートフォンで十分ですし、優れています。
iPadに、キーボードを認識させて使うというのが
私の将来の妄想でもありますが、iMacの画面を使わないとまでなるのか。
それとも、別途、外部モニターを利用してタブレットから出力させることがあるのか。
そうなってくると、iPadでなくとも、MacBook Proに同じことをさせても良いわけです。
どうも私の生活では、まだまだiPadを役立てるようなことにはなりそうもありません。
iMacとiPhoneの関係性から考えると、調べ物をするときにこの中間の役割を果たすのは
想像がつきます。
ではどの場面でiPhoneの優位に立てるかと考えると、外に出たときになるのではないかと。
外出時における情報端末機として、画面が大きく画面に向かっての操作で動作が完結する。
外出時に、もっと情報の確認をする癖を付けることで、iPadを有用するということになりますが
人と会話しているときに、ゴソゴソするものでもありませんし、
利用するのならば、公的情報の確認ぐらいになるのでしょうか。
以前、電気屋さんで並んでいた最廉価のHDDレコーダーの電源コードは
交換できるタイプかどうかと店員さんに尋ねたところ、
梱包されている商品を開けるわけにもいかないときに、
わざわざ手持ちのスマートフォンでメーカーHPの商品の梱包内容を確認してくれたことを思い出すと
こういった、見れば誰もが同じ情報を手にすることができるものを、いつ確認することができるか。
つまり、いつ、といったところに利便性が高ければ、外出時の情報確認に有用性がある、
ということになろうかと考えます。
物は使いようということですね、いつの時代も。
スマートフォンは、Android機で使っていたとはいえ、
どのように使っているのかを、自分の生活を振り返ってみます。
インターネット空間の情報を得るための端末機、というのが
私にとっての、iMacでありiPhone8でもあります。
iMacにおいては、音楽再生機としての性能も求めています。
自分がどのように使っているのか、というと
情報をどの程度調べるかによって、この二つを使い分けているのがわかります。
手元には、広辞苑があります。
情報の信頼性というものに価値をおかないときは、スマートフォンで調べます。
iMacの電源を入れて、というのは、この操作の分だけ手間がかかるという認識がありますし
この手間をかけても調べたいというものが、iMacの画面に並びます。
意味のわからない、全く想像がつかない単語は、まずは広辞苑。
うる覚えで、「確認」したいときはスマートフォン。
知らないということについての深度の違いで、端末機を変えているとわかります。
調べ物についても、スマートフォンでのネット検索は、大まかに。
細かく、画像検索などもしたい場合は、iMacでといった使い分けをしていました。
興味深いのは、iMacで作業をしていても、ちょっとだけ調べたいと思えば、
タブを新しく開くのではなく、側にあるiPhoneを使っていたりします。
これは私が複数のタブの画面を使い分けるということに慣れていない、これがまずあるでしょう。
次には、このブログの推敲でもよいですが、画面を動かすと集中力が途切れてしまいそうで
作業画面はそのままに、iPhoneの画面を別に開くといったことを、
無意識にしているのかもしれません。
さてこれからの生活に、タブレット端末=iPadがどのような位置付けになるかを
自分の生活を振り返って考えると、いまのスマートフォンの使い用と入れ替わるだけならば
さほど必要な製品とは言えないのかもしれません。
携帯性を考えれば、私の生活で必要な性能はスマートフォンで十分ですし、優れています。
iPadに、キーボードを認識させて使うというのが
私の将来の妄想でもありますが、iMacの画面を使わないとまでなるのか。
それとも、別途、外部モニターを利用してタブレットから出力させることがあるのか。
そうなってくると、iPadでなくとも、MacBook Proに同じことをさせても良いわけです。
どうも私の生活では、まだまだiPadを役立てるようなことにはなりそうもありません。
iMacとiPhoneの関係性から考えると、調べ物をするときにこの中間の役割を果たすのは
想像がつきます。
ではどの場面でiPhoneの優位に立てるかと考えると、外に出たときになるのではないかと。
外出時における情報端末機として、画面が大きく画面に向かっての操作で動作が完結する。
外出時に、もっと情報の確認をする癖を付けることで、iPadを有用するということになりますが
人と会話しているときに、ゴソゴソするものでもありませんし、
利用するのならば、公的情報の確認ぐらいになるのでしょうか。
以前、電気屋さんで並んでいた最廉価のHDDレコーダーの電源コードは
交換できるタイプかどうかと店員さんに尋ねたところ、
梱包されている商品を開けるわけにもいかないときに、
わざわざ手持ちのスマートフォンでメーカーHPの商品の梱包内容を確認してくれたことを思い出すと
こういった、見れば誰もが同じ情報を手にすることができるものを、いつ確認することができるか。
つまり、いつ、といったところに利便性が高ければ、外出時の情報確認に有用性がある、
ということになろうかと考えます。
物は使いようということですね、いつの時代も。