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新しい革の酒袋 [雑感]

DeNAのまとめサイトの件で、興味深いのは
ネットでの禄高が桁違いに高い人ほど、
ネットの情報に信憑性を置いていない、ということが見て取れる事です。

ネットだけではなくて、情報媒体の本質はほとんどがそうなのでしょう(毒)

見る側も、はじめからその意識で相向かう必要がある、ということなのですが
活字として見せられる説得性のマジックと、
いいね!の総意が多ければ多いほど、文字情報の真実味が増すということになります。







今回の「まとめサイト」の作り方にしても、その情報が真実に沿っているのか、よりも、
より多くの人の共感を得ている文章であり内容であったか、が、重要視されるわけなのは
そのサイトの収益モデルから考えれば、至極まっとうな方針となるはずです。

より効率よく集金をするためには、少人数の人からの集金ではなく、大多数の人からの少額の集金を
考えるのでしょう。
そのモデルとしては、大手広告業界のやり方を見れば十分です。

TVを見なくなった私は、TV画面からの商品情報を得る事が少なくなっているのにもかかわらず
私が購入する商品の大半には、大手広告会社に支払われている宣伝広告費が含まれています。

実店舗に行き、商品をじかに見て手にとって、自分に必要なものであるかどうかを考えてから
購入するような商品にも、私以外の人が見ている(であろう)宣伝広告費が含まれるわけです。

社会に理不尽な事はあって当たり前なので、そういうものも結構ですが
そういうことを理解して、搾取する側になるのかされる側にいるのか、認識している事は大切。

「まとめサイト」の情報が、パクリモノが多く情報の信ぴょう性に乏しい、というのならば
巷にあふれている「週刊誌」の類の媒体も、
嘘かほんとか、メディア側が勝手に決めたグレーゾーンで行われているようなことも
炎上されなければ理屈には合いませが
世の中、理不尽なことがあって当たり前なので、そういうものです。

今回のDeNAの問題になった本質は何かを考えてみると
情報をコピペして、倫理も何もない運営をしていたこと、ではなく
情報の信義に重きを置くのではなく、なんの実態も無い収益モデルを作り上げて、そこで
金銭を動かしている事が常態化している、そのことでしょう。

別にそのような利益を上げることに、倫理がどうのこうのとは言いません。
そんな事は今に始まったものではありません。

会社として、まっとうな仕事をする、よりも、適当な情報を陳列しておけば
アクセス数が増えて広告主に対しても良い顔が出来る、ではこの本質ではないでしょう。
さらに考えれば、そういうサイトを仲介している大手広告会社や出資している会社が
何もしないのにうまみがある収益モデルを大切にしているからでしょう。

2000年あたりから、新しい経済システムの論理を導入し、旧来の経営モデルを批判し、排除し
新しい(と彼らは思っていた)経済システムの中で、いかにはやく、多くの利益を得るポジションに
ついた人たちも、いまでは自分たちが利権を守る側になっていて、
彼らが排除したはずの旧勢力だとレッテルをつけた側に成り下がっている人たちが多くなった、
そういう印象を受けます。
いえ、既得権益を得ることが出来ているのですから、成り上がり、なのです。

規制緩和、金融緩和で経済が良くなったとは言えないこの21世紀からの日本経済。

新しい思想を持った経済人が日本経済をけん引していくと思いきや、
やっているのは、実体のないモノの取引。
実体のあるモノの取引で成りあがった「古い」日本経済を否定するのは、
自分たちが「新しいと思った」やり方の
正当性を担保するための事だったのでしょうが、利益を得た人たちの考える事は
どの時代の人間も同じ事。

インターネットでの動画配信事業がビジネスモデルとして成立し始めると
既存のTVメディアが、従来の規制を盾にクレームを付け始めるのも一例でしょう。
TVメディアが得意になって主張する規制緩和の論理から考えれば、
従来のメディアの既得権益を守る必要はないはずです。
日本中、どこにいても、どの地方の局でも、好きなだけ見ることが出来る、もしくは聞くことが出来る。
そのようなビジネスモデルが、課金制でしか成立しえないのは
彼らが言うのには、地方局の番組がすたれてしまうから、とか、広告が集まりにくくなる、だとか。
それやって駄目になるなら駄目になってしまえ、というのが、新しい経済主義だったはずなのに
発言力と集金力のある業界にはそういう特権が残されているわけです。
正確に言えば、地方の放送局がつぶれる事よりも、つぶれることによって窓口が減って
大手広告会社の収入が減る、からでしょう。
そこから考えれば、地方の放送局がつぶれても、
大手行広告会社に今と同じような集金額が入るビジネスモデルを成立させれば、
全国どの地方の番組も見ることが出来るシステムが生まれることでしょう。
あくまでも、ビジネスモデルとして考えれば、です。
既存のメディアの存在意義がどうだとかは考慮していません。
彼らが考えているほどもう無くなっているのかもしれませんが、それでもまだあるのではないのか、
と、都合のよい期待はあります。

話がそれました。

戻しまして、搾取する側の上位数パーセントの人たちは「新しいと思った」こともないでしょう。
自分たちが効率よく利益を手にする事が出来る都合のよい論理が目の前に手つかずに出された、
と考えたはずです。
それは時代の終わりと始まりの境目の瞬間に存在することが出来た人たちに与えられた機会で、
その機会を利用して利益を得るための嗅覚の鋭さであり、
それはビジネスマンとしてのセンスがあった、ということです。

人間が新しくなったわけでもないのに、古い制度を見下した態度をとるくらいで
自分たちが新しい人間にでもなったつもりでいられるのは、
派手で見栄えが良い洋服を着て、喜んでいるくらいにしか想像ができません。
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