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見栄と虚飾と実用性 [新型車購入までの道]

次の車の選定は、わたしにしては珍しく逡巡しています。迷走とも言える(苦笑)

こういうことに悩むこと自体、私にはあまりない事なのです。
ましてや、自分の趣味の車の車種の選択、という、シンプルな事態に対して
全く身動きが取れない、堂々巡りの思考パターンに陥っているということも
私の生活パターンからは、考えにくいことだったりします。

物事はできるだけ単純にする、それだけを念頭にしていると、楽なものですので。

何を悩んでいるのかは・・・悩みの最中の言葉というものは、決断が出来てしまってからでは
なんだ、そんなことで悩んでいたのか、というのが世の中の真実でしょう。

ですが、悩んでいる最中には、よくわからん(笑)

何気なく考えていた折に、自動車の選択ということを、何か身の回りの生活における選択に
置き換える事が出来ないだろうかと思いつきました。

私には、服選びのセンスというものが存在しないので、恐縮なのですけれど
服を買う時と似ているのではないかなと思えたので、ここで結論のない考えを吐露させていただきます。

・・・ブログのネタがないんです、お付き合いください(笑)





服装の選択に、TPOに合わせる、ということもあるでしょう。

その場合、自分の好みの服装を選択する前に、その場の時間と空間に合った服装を
選択することになります。
服装における自己主張の順位付けは下がります。

自分のライフスタイルにあった自動車を所有するというものも、服装の場合とは違い、
もう少し長い時間のスパンで考えることもあります。

独身者であったり、家族持ちであったり、自分以外の人間を乗せて運ぶためであったり、
仕事で必要であったり、何を重要視するのか、その時その時の、自分の外の環境によって異なってきます。

それを見越したり、変化した外部環境に合わせたり、その時々の選択というものもあるでしょう。

今の私の場合、独身生活は当分変わりそうもありません。
40代を迎え、それなりの年齢となってきましたので、慶事や葬儀などの場に参列する機会もあるでしょう。
車としては、そのような場所でも違和感のない(これを無難というのかは別)印象の車、ということも
選択肢を制限する制約の中の上位を占める事になります。
私の仕事なりに合ったような車両と見られる、ということもそうでしょう。
高齢の両親は、幸い、健康を大きく損なうことなく生活させていただいていますが
いつ、車による送迎が必須の生活になるようなことになっても、おかしくありません。

先だって乗っていた、MINIのような車では、
これから10年と言わず、数年先にはそぐわない生活になるのかもしれません。

服にしても、10年以上着続ける事が出来るものもある場合、やはり自分の生活に即したものであるか、
それともこれは趣味のものとして割りきって、
生活の中でもほんのわずかな時間に対してコストを惜しまないのか、これは個人の裁量の範囲です。

長持ちしそうなものであれば、10年後とは言わず、数年先の自分の生活を想像して、この服装は
買うことが出来るだろうか、と、考える機会はくるはずです。
大量消費社会では、美味しいところだけを使って後は中古で売り飛ばすというやり方が
効率の良いやり方のようですが、今回はそのような事を考えず、使い切る、ということで考えています。

自分の変化し得る可能性の高い外環境を想像すると、好きな車を好きに乗る、ということからは
距離を置かなければなりません。

無論、好きな車ではカバーしきれない状況を、別の車で補う、
ということが出来るのであれば問題はありません。

私の将来としては、経済的にも、心情的にも、二台持ち、という選択はありません。
FCとジータの時で、自分にとって都合の良いものを持ち続ける事のリスク、ということを
よくよく考えさせてもらえました。

では、こうやって筋をたどって考えていけば、自分が購入しうる車両というものは
おのずと決められそうなものですが、今回の次期候補車の選定にあたっては、
堂々巡りとなってしまうのです。

で、その車を選んで楽しいのか、と。

この点については生意気ですけれども、どのような車を選択したところで、
その車にして頂く整備環境を含めて、楽しく乗らさせてもらえる自信はあります(思い上がり)

では、どんな車でもいいじゃないか、ということなのですが(笑)

仕事に直接使うことは無くても、間接的に使うことも可能で、
移動中の環境の変化にも幅広く対応することも可能であり
なおかつ居住空間もあり乗降性も優れ、
耐久性、維持費、燃料代、整備性、消耗品、
修理時にかかるであろうコストパフォーマンスも優れていそうな
見栄と虚飾の割合が少なく実用性に富む、自動車という機械装置としては
至極まっとうな評価がされるような車両に目星をつけても
頭の中で、
その正解過ぎる解答は、正しいけれども面白いのか?と、考えてしまうと
前述のように、考えが堂々巡りとなってしまうのが、私の現状です。

この堂々巡りからの脱出方法も、実生活から経験できている事です。

自分を、ぽいっと、放り投げてしまうことで、すべては解決できます。

そのことと、実用性を少々(大幅?)に犠牲をしてでも、自分の好みの車にするのか。
このはざまでの葛藤が続いているわけです。

その間に、少しばかりでも資金をためる事が出来ればこれも上々である、と、現状判断しています。

共感していただけない事ですけれども
どうも次期候補の選定にあたって、何もかも間が悪すぎる、そういう印象はぬぐえません。
これといった車がモデルチェンジしたばかりだったとか、する直前だとか、M/T設定が無くなるとか、
どうもすっきりと車が手に入ってくる(私の物事が順調に進む時の印象)感覚がなく、
車を迎え入れるタイミングがつかめていない、そういうところが私にあるような気もしています。

駄目な時はダメ、そういうものでしょう。

DSC06355w.jpg

久しぶりに晴れた日の空。
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