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ガンダムの呪縛 [雑感]

閃光のハサウェイ 劇場版が5月に公開されます。

小説版は私が15歳の時に刊行されています。

当時は、映像にするのは困難な作品であるとの評価がありました。
物語の内容が10年先の米国本土のテロリスト攻撃を予想していたようなものですから、
色々な配慮があったのでしょう。

何度もよく読んだ本でしたが、登場人物達の心の機微の解釈にあたり、
15歳の私では理解できない点が多かった小説でもあります。





今回、映画化されることで、YouTubeでも映画の場面を先行公開するなど
映像で目にすることができるようになりました。

開始15分ほどの映像を見ましたが、忘れかけていた小説版の内容を
鮮明に思い出させてくれるような描写です。
これは驚きです。読み終わってから20年以上経過している小説を、
現代風のガンダムの映像を見ながら想起することができるとは。

物語のキーパーソン、ギギ・アンダルシアの把握が、
15歳の頃の私には非常に難しかったものです。

愛人設定というのも、10代の自分がどこまで把握できていたのか怪しいところです。

現代においても、ワイドショーや週刊誌でやりとりされていますが、
あれは、お金の受け取り方で、関係性が愛人であったかどうかが決まることなので
揉めているわけです。
400万円を借用しているかいないかで、愛人関係であったかどうかの事実認定につながるのでしょう。
借用しているのであれば、愛人関係を認めないことになり、
借用していないのであれば、愛人関係を認めることになります。
ですから、あのおカネは借りたものである、と、主張する理由になります。
借りたものを返せよ、ではなく、借りたものを返すことが問題を生むのです。
おカネというものは、興味深いです。
借用書も無しに良い大人が400万円を渡すという事実について、
一方的に関係性を否定された側とすれば、
関係性を担保に(だけじゃないとしても)お金を渡していたのに冗談じゃない、
ということになります。
解決金を渡したいというのも、おカネを精算すれば借りていたこともなかったことにする。
今までの関係性も無かったことにしたいと言っているようなものですから、
おカネの問題というよりも、男女間の問題がそこにあるのでしょう。それをすり替えようとするのですから、法律的にはうまくやれるかもしれませんが、人の情緒の面においてはうまいやり方であるとはいえません。最後は、開き直って知らんぷりをするのが関の山になりますがそんなんでいいんですか、あなた方の立場からして、と、日本国民としては考えます。
解決方法としては、米国の法律事務所に勤めてエリートコースに入るようならば、
30代になるまでは勉強し続けることになるはずですから、給料はさほどではないはずです。
その代わりに30代以降、それまでの費用を賄うのに十分な収入を得ることになるのですから、
そのような状況になるまで辛抱する必要がある立場がお互いにあったと考えれば、
軽々に物事を決めすぎたとも考えられます。

話がそれました。

小説を読んでから30年経過してどこまで理解できるのか、相変わらず不安ではあります。
特に、あっち行ったりこっち行ったりの、心境の振幅の大きさ具合によくわからんと
当時、そのような印象を抱いていたことを思い出します。

今回の先行公開の開始15分版を見た感想は、物語のプロローグでの台詞が
エンディングの事態と強く関連性を持たせて登場人物達に喋らせていることがわかりました。
ということは、物語の最後は決まっていたということにもなります。

となると、その最後の運命に対しての富野監督の罪悪感というものを、
ギギという登場人物に背負ってもらったのかもしれません。

主人公のハサウェイとギギ、ライバルになるケネスと3人の関係性が
どのように「クール」に描かれるのか。結末を見るのは辛いものですが
ガンダムという時代の制約性に束縛されている私としては(苦笑)
見届けたい作品だと考えています。

読み直したいのですが、小説版、どこにしまったかや。
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