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自分がそのものの前に立っているような感じ [Apple]

M1チップ搭載のMacの新製品が登場しました。

技術的なことはわたしの手の届くものではありませんが
世代を変える出来事にはなるのではないかと、期待します。

私の次期母艦は、iMacになるでしょうし、
その母艦に搭載されるのはM1チップに連なるものにしたいと思わせてくれます。




私はプログラミングもコンピューターの業界のことも、全くの門外漢であります。

その人間が考えるのは、Appleが何を表現しようとしているか、です。

私がApple製品を使用するのは、ただ一つ、音楽の再現性の高さであります。
Windowsでも達せられるとのことですが、私はそこまで性能のあるWindows機を
触ったことがありませんし、組み付ける知識もありませんので考慮しません。

デジタル技術というものは、何であるのか。
人間社会に必要とされる、という文言を前提条件に使うべきでありましょう。

その普遍的な意味合いは、右のものを左に移した際に
そのままを再現する技術、でありましょう。
それはアナログ技術が目指していた最終到達点でもあり、その最終到達点に達するにおいて
いかに簡便に、そして精度高く行えるのか。
アナログ技術では、再現性の確保のための環境要因が多く、
目的に達していてもそれは限られた環境ではなかったのか。

ではデジタル技術というものは、その限られた環境というものを開放することに用いられる。
人類社会により普及させるための技術、ではないのかと、全くのど素人は想像をします。

それは、Appleの音の再生に関わる最終到達点が、ますます簡便な方向で可能になっている。
そこから想像をさせられます。

高負荷の作業をいかに処理をしていくか、そのことがPCの性能に
強く求められていたことではないかと門外漢の私は観察します。
ですがそれは、環境保護論を精密に考慮すれば、電気の無駄遣いになっているのではないか。

性能の評価基準を、どれだけの負荷の処理に耐えらるのか、といったものから
必要な負荷は実はもう決まっていて、その負荷にいかに効率よく対応をしていくのか。
4K、8Kというものがどれだけ世の中に必要になるのか、
それがデジタル技術での再現性の担保に欠くべからざる機能であるならば必要でありましょうし、
そうでなければ、電力の無駄遣いになると切って捨てられるものかもしれません。

音が良くなる、映像が良くなる、この基準から離れざるを得ない時代が始まったのかもしれません。
良くなるといった抽象的な表現から、正しく再現されているのかいないのか。
もしくは、正しく再現されていることが前提になることもあり得る現実です。
ということは、録音の時点から(録画でも結構ですが)再現性の担保を考えなければなりません。
Appleならばどうするでしょうか。
自社製品では、iPhoneがありiPadがあり、
機材として専用のカメラをAppleが準備することはないでしょう。
その代わり、プロ用機材でしかできないことと思われていたことが、
タブレット端末にて代替することができる、そのようなことが増えてくることは想像ができます。
もしくは、すでに別のメーカーとのすり合わせができていて、
機材から編集ソフトに及ぶまで、Apple製品との最適化がなされているとすれば、
より簡便に、右のものを左に正確に再現する技術が用意されているのかもしれません。

8Kの映像処理に対応するために省電力化することで、
「旧世代」が4Kを映像処理する電力で可能になることを目指しているのかもしれません。
全世界で販売しているApple製品の使用する電力の総量を、
Appleは真剣に考慮しているとも考えられます。

PCに、ハイコスト、ハイパワーの性能を私は求めることはありません。
音楽再生に必要な性能というものは、
今のAppleの技術からするとさほど高いものでなくとも十分であるようです。
ならば、同程度の性能で省電力化、もしくは同じ電力消費でも高効率化されたものが
私の次期Apple製品となるはずです。

インテルも舵を切らざるを得ないでありましょう。
ただし、舵を切るその最終到達地点をより精細に、Appleよりも描けるのかどうか。
それが技術的な革新となるでありましょうし、商業的にもうまくいことではないか。
いえ、存外、適当で曖昧なくらいが商業的にはうまくいことが多いのではないかと思います。
その代わり、技術の革新ではなくなるかもしれません。

そのような意味で、旧世代、と、Appleは時代の区切りを早々につけたとも考えられます。

自分がそのものの前に立っているような感じとは、
司馬遼太郎氏と対談をしているドナルド・キーン氏の言葉であります。
江戸時代、オランダから日本に持ち込まれた絵画の数は多かったのではないか。
そして、写実的なオランダの絵画を見た当時の日本人たちが思ったのは、
東洋的な絵の描き方と違うと感じたのだろうと観察されています。

デジタル技術の到達点が、音や絵を「完璧に」再生することであるとすれば、
Apple製品のデジタル技術からもたらされたものを見聞きした人が受ける印象は、
東洋的な絵画しか知らなかった江戸期の日本人が、
レンブラントの写実的な絵を見た時の思いと変わりはないだろうと、私は考えます。
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