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旧閑谷学校 [Polo AWCHZ]

備前焼の歴史を見た後に、会館に展示されていたパンフレットを見て訪問。

旧閑谷学校。
儒教を教える場所として、江戸時代初期に設立されたという説明であります。

日本遺産としても認定されているようです。

私は、名前だけをかろうじて頭の片隅にあるくらいで、どのような施設であるかを知らずに
パンフレットを手にして、江戸時代の儒学教育に関する施設であることを知りました。

江戸期の教養でもって、19世期末の西洋社会を観察し、
産業資本主義経済社会の導入と帝国主義のその意味するところを正確に把握することができたのは、
近代日本の幸運であったかもしれません。
ただ、昭和期の日本人の軍人は、明治期の軍人とはまるで別の人種のようだと、
司馬遼太郎氏に評されるのも、社会に求められていた教育の違いが見て取れるのではなかろうかと。

現代風で言えば、小学生の頃から金融資産の運用を学ばせるということになりましょうか。

資本主義経済社会の新自由主義経済の思想下においていかに効率よく生きるためには、
そういった親の考え方にもなりましょう。
実体験から導き出された、子供のへの教育方針というものです。
ですがそれは、相変わらず昭和期の軍人を作り出すことになっていないか。

宿題をお金を支払って代行するというビジネスも、
なんでもお金に換えることが資本主義のシステムであると理解していれば、
そう言ったビジネスが出てくることも、さもあらんと思えますし、
宿題をお金を払って代行させることの問題は、
なんでもお金で解決できると疑問もなく考えていること自体が問題なのだろうと、
角度をつけることができます。
代行をさせるということについてそれは、良心の問題であろうと考えることもできそうです。

旧閑谷学校は、推薦があれば誰でも入学できる制度であったようです。
完全なフラットではないことが、今の人権主義者からはクレームがつきそうですが(苦笑)
平等と公平では意味が違いますし、どちらが社会に対して軋轢を生まないかと考えると
人間社会は「公平」という差別ではなく区別をすることで、うまくやる経験知をもっている。
そのようにも考えられます。
近代を超克する、とは戦後から言われていることでありましょうか?
近代を超克しようとすると、ちょっと昔に戻った方がよほど「超克」していたかもしれません。

訪れた時期は、暑さも盛んな時期でした。
暑さにしてやられ気味だったのか集中力が続かなかったので、
流し見してしまった展示も多く、それが心残りであります。

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