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YAYOI モダンデザイン [Polo AWCHZ]

愛知県陶磁美術館の企画展を観に行ってきました。




このblogが投稿される頃には、終了している企画展です。

YAYOI
モダンデザイン
〜ニッポンの美、ここに始まる〜

個人的に、縄文土器の火焔土器を見てしまうと、弥生時代に作成された土器は
のっぺんたらりんとした印象が強く、
稲作文化というものは、稲の栽培に人間が服従させられることですから(苦笑)
文化を作り出す余力というものまでも、吸い取られてしまうのだなと考えていました。

縄文時代と弥生時代という時代区分は、後代の人間が勝手につけたものでありますから
モノを作っている人たちにすれば、自分は弥生人だからこのようなデザインをする、
という意識が存在するわけもなく、社会環境に適合した形状を作り出している、
それだけでありましょう。

私の興味が向いたのは、縄文時代晩期と弥生時代前期の
両者の思想と技術が混合しているような土器です。
既存の縄文土器の多くに見られるような量産には向かないデザインのものが、
必要ではないと思われるものが削ぎ落とされながら、
次なる土器のデザインの先鞭にもなろうという形状です。

火焔式土器のデザインが、ただの装飾であるのかどうかは知りません。
私が見ていたものからは、鳥のトサカの形状にしろ、
それは指を入れて持ち運ぶにはちょうど良さそうな穴の形状にも見えますし、
紐を通して吊り下げておくのにも良さそうにも見えます。

親から引き継ぐ紋様(文字として認められていない場合は「紋」の字を使うとのこと)が
変化するのは社会の環境の変化が要因である、という言葉に私は得心していますから
縄文土器の変化も、社会環境の変化が及んだものと考えれば、
水稲技術を社会の根幹にしていた民族と、既存の縄文社会を築いていた民族との
社会の変遷があったと考えて弥生土器を観察すれば、
デザインの簡素化は社会の環境の変化が原因であると論理的に捉えられます。

縄文時代にもあったのかもしれませんが、展示されていた弥生時代の木製品を見ていて思えたのは
小ぶりの箱が出土していることでした。

その箱には、個人の大切なもの、アクセサリー類などが仕舞われていたのではないかと
説明されています。

個人財産という概念が弥生時代以降、強く出てきたのかなと。
縄文と弥生時代の差異と言うのは、個人の持ち物、と言う概念が強くなったのではなかろうかと
私などは考えます。
稲作文化における、より長期的な作物の保存が可能になったことは、
その地域で養える人口が増えることにつながるでしょうし、
稲作に不向きな土地との格差にも直結します。
商品経済は縄文人も行っていましたでしょうから、商品経済によって交流をすればするほど
富の蓄積につながるのでしょう。

では、もっと因数分解をしていき、縄文時代と弥生時代とでは何が差異であったか。

それは、時間の経過に対する態度、ではなかったのかとヒントをもらえました。

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