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スマフォとお金と、だらしのないこと。 [雑感]

ケータイの請求料金が数百円ほど高いように感じたので
webで確認しようと、PCからログインしようとするも、
スマートフォンかケータイからご利用くださいとのこと。

ケータイは、データプランは月10MBなので使う余地もなく
これは窓口まで行って契約プランの確認をしなければダメか?と
考えていたところ、別に当該キャリアと契約していないスマフォでもいいじゃないかと
スマフォでログインをしてみると、ちゃんと確認ができました。

やれやれ、タブレット端末というものは、本当に必要とさせられるようになってしまった。





タブレット端末が必要とさせられるなと(被害妄想)感じたのは
ライブチケットの発券でした。
電話番号付きのスマートフォンにアプリをダウンロードして
身分確認させるというシステム。

チケットのダフ屋行為が、一般人にまで及んでしまったため
制約がかかったという流れの一環なのですが、新自由主義経済の行き過ぎが
国家権力の介入によって均衡を取り戻す動きを呼んでしまう。そのような一例でしょう。
拝金主義に陥るということを、なんとなく、みんながやっているからやらなければ損、
といった風潮というのは、ヤフオク然り、いまの時代ではメルカリになるのでしょう。
子供なら尚更、計算だけをして得をする方向を選ぶのは、致し方ないこと。
金融経済の論理を小学生から教育するというのも、流行になるのは想像に難くありません。
金→商品→金’
この商人資本の基本を、目に見える商品だけではなく、目に見えない商品に波及させていく。
労働者は時間を賃金に変えるが、それには上限が伴う。
しかし、上限が伴わない変態を勉強するのは、お金を増殖させることが幸せだと
その子供の親が実感しているからでしょう。
お金で解決できるのが人生の大半の悩みでしょうし、これは大切なことです。
ただその割合は自分で考えるもので、
どの線引きで、こういうお金の使い方はだらしがないな、と決めるには
どのような勉強をさせるのか、
子供の両親はそれについての勉強をしているのかは、甚だ疑問であります。

話が逸れました。

タブレット端末というものが、まだ日本の社会には浸透しきっていないあたりが
私にはありがたいのですが、米国の社会をYouTubeで見ていると
普段の買い物の決済方法しかり、社会の利便性の追求のためには、
個人端末というものが本格的に必要になってくるのかもしれません。

そこには個人の意思による抵抗などは、チリほどの力も持たないでしょう。

そういうものです。

年に何度もライブに行くわけでもないので、行けなければ行かないで済むのですが
電話番号付きスマートフォンの必要性も、これからの将来を考慮すると、少々出てくるわけです。

ケータイは、仕事で必要なのでこれは確保。
タブレット端末で済ませようとすると、電話番号付きのSIMが必要となります。
スマートフォンはこれにして、画面の大きいタブレット端末はWi-Fiで使うようにするとか
デザリングを使うとか、何らかの迂回の方法も、先達たちの知見を探るべきなのかもしれません。

これも先の話題の通り、金で解決ができる問題ですな(笑)
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