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内燃機関のみの自動車への哀愁の合理性 [雑感]

自動車の動力の電動化が、環境保護を理由に、非合理的な論理で推し進められています。

環境保護をするためではなくて、産業をシフトさせる事で
物事が動き、その動いたことに利益を得る人たちの恣意の強さが、自動車産業の電動化を
推し進めていると考えられます。

資本主義の基本運動の針の動きを、意図的に動かして、都合の良いものにする、
もしくは、100年200年かければ良いものを、その分の資本の運動を短時間にこなして
利益の先食いを考えている。

資本主義の基本論理である環境が原因による産業資本の構造変更を、
環境保護をお題目にして推し進めるその本質は、
利食いの論理の方が、私には資本主義下の人間の活動として論理的であると思えます。





自動車の動力の電動化によって、内燃機関のみの自動車というものが
どうなっていくのか。

シンプルに、哀愁を持たされていくと考えるのが、いたって自然です。

保守的思想と革新的思想(笑)に区別をするならば、
内燃機関だけの自動車っていいよなぁと、
電動化された自動車に乗っている俺が好きな意識高い系と
言い換えられるかもしれません。
意識高い系の保守とか、いろいろ詳細に分かれるでしょうけれど、本質はこの辺り。

両者に共通するのが、どちらも合理的ではないところ。

両者の判断基準が、情緒的であるという点は、どちらも同じことなのは常識をするとわかります。

そんな社会のことは置いておき、自分の生活でこのことを考えるとすると
現状手元にあるパジェロミニのことを考えるのみです。

モーター車の特性でもある、下からのトルク感の強さというものを
内燃機関だけの車にも何かしら表現することができないか、ということです。
えらく走り易く、扱いがよくなったパジェロミニを走らせていて考えさてもらえたことは、
そういうことでした。

新しいものを無闇に排除せず、古いものを古いからという理由で排除しない。

私は池波正太郎氏の
「世の中には、まるっきり新しいものというのはない。古いものからしか新しいものは生まれない」
この言葉が、頭に残っています。
このことを忘れないようにしていきたいです。

と、書いていたら、直6の再採用が欧州メーカーから始まるそうです。
これも情緒的な理由ではないでしょう。
要求される環境規制に対して、投資しても回収ができる方法として
直6エンジンユニットを採用する、といった自動車メーカー側の選択。
と考えるのが、妥当だと思います。

とはいえ、直6をいかようにして環境規制に合わせこんだのかはわかりませんが
日本のように、何でもかんでも、ぽいっと捨ててしまわないのが
大人と子供の違いでしょうか。
生産者側ではなく、消費者側のことです(毒)
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