読書の効能 [雑感]
地デジに移行する際に、部屋のTVを更新せずにいたので
意図的にTVを見なくなって3年近くになります。
TVを見なくなったことで、時間を得て、得た時間は、本を読むことに費やしています。
とはいえ、読書家と言えるほどの読む分量もないですし
手持ちの文庫本を再読したりする程度の、読書です。
本を読んでいて、ときどき感じることがあります。
この文章は、今の自分のために書かれたのではないか、ということを。
いえ、ちょっと大げさすぎるような気もしますが(笑)
私が感じている本意からは、大きく外れていないはずです。
「疑う余地のないほど、極めて明瞭に判然と、自分の心に現れたものしか、
判断のうちに取り入れぬ事」。
学業を終えたデカルトが、書物を捨て、世間という大きな書物だけを読もうと決心し、
今こそ自分一人で判断し考える自由を得たと言う時、彼の自己発見は、
絶対的な完全なものであったと考えていけない理由はないでしょう。
判断し考える自己の自由とは、これを完全に知るか、全く知らないか、
どちらか一つのものだろう。
考えるヒント2 小林秀雄 文春文庫 前段198頁 後段201頁
意図的にTVを見なくなって3年近くになります。
TVを見なくなったことで、時間を得て、得た時間は、本を読むことに費やしています。
とはいえ、読書家と言えるほどの読む分量もないですし
手持ちの文庫本を再読したりする程度の、読書です。
本を読んでいて、ときどき感じることがあります。
この文章は、今の自分のために書かれたのではないか、ということを。
いえ、ちょっと大げさすぎるような気もしますが(笑)
私が感じている本意からは、大きく外れていないはずです。
「疑う余地のないほど、極めて明瞭に判然と、自分の心に現れたものしか、
判断のうちに取り入れぬ事」。
学業を終えたデカルトが、書物を捨て、世間という大きな書物だけを読もうと決心し、
今こそ自分一人で判断し考える自由を得たと言う時、彼の自己発見は、
絶対的な完全なものであったと考えていけない理由はないでしょう。
判断し考える自己の自由とは、これを完全に知るか、全く知らないか、
どちらか一つのものだろう。
考えるヒント2 小林秀雄 文春文庫 前段198頁 後段201頁