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新しいものと古いもの [雑感]

ガソリンを燃料として走行する、内燃機関のみのパワートレインを有する
自動車というものが、投資の都合で排除されようとしています。

環境問題ではなく、資本の運動を人類がいかに制御しているか。
そのことを実証実験しているのか、それとも金融資本家の趣味の集金事業になるのか。
おそらくそれらの成分が混在した理由で、
産業資本に設備投資をさせるための、内燃機関のみの自動車の排除、といったことにつながります。

私は環境問題を無視してはいません。
ただ、資本主義経済社会において、産業は技術革新をしていかなければ存続できない。
その論理から考えれば、環境問題よりも、
技術革新(更新)を恣意的にさせることで何が生じるのかを、妄想、しているだけです。



私がPoloを選択した理由は、できうるだけ、コンサバティブな仕組みのものであること。
これが基幹にあります。

運転アシストの機能を排除するのではなく、保守的な仕組みの車両を手にしておくこと。

次の車なりなんなりで、運転アシストが自動運転にまでなっているかも知れませんし、
そのようなものしか選択ができなくなった時に、そういった機能を楽しむことができれば良い。

新しいものを否定もしなければ、古いからといって手放しで礼賛もしない。

そんなところです。

欧米人の考えている環境問題において、人類の助け合い、という倫理を
強制的に押し付けるキリスト教的な手法が含まれているのは、
新自由主義者というものは、資本の運動からお金を引き出すために
人間社会の、文明の理屈を自由自在に使っていることがわかります。

ですから、日本の十三世紀以降の仏教的な倫理に触れている時間が長いと
二酸化炭素の排出量が増えているということについての危機感が、
仏教的観念では、「空」ゼロ、無になってしまうのに、どうするものか。
と、無意識にキリスト教的な倫理を跳ね除けてしまっている、そんな自分の内面を考えます。

現在の国際社会というものが、歴史的に欧州文化の教養を基礎としている以上、
キリスト教的な倫理が正しいものだと言われるのも、基礎の教養がそれなのですから
致し方ないことです。

温故知新という東洋世界の考え方は、西洋世界には通用しないものなのか。

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