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ハンガリーGP、2015 [雑感]

録画してあったハンガリーGPを観戦。

波乱のレース展開を観終わって
これが面白いというのならば、だれかの失敗を観るのが面白い、
ということなのだろうかと、考え込んでしまいます。

面白いって、そういうことだったっけ?と。

綿矢りさの、夢を与える、に、これを表していた文章があったのを思い出す。




「速すぎた飛行機の空中分解を夢見てた。
人々に見守られながら飛び立って、通常の軌道から外れてぶわりと上昇し、
軌道の遥か上空に新たな軌道を作り飛んで行く。
やがてそのスピードと高さに機体は耐えられず表面がどんどん剥がれ落ちていき
空中分解するが、その瞬間には人は他のわくわくする飛行機に顔を向けているため、
上昇し続けた機体の最期を見ることはない。」 夢を与える 195頁 綿矢りさ


予定通りならば、メルセデスの2台が、1,2フィニッシュを飾るはずでしたが
そこはパワーユニットのパワーの大きさの影響が少ないハンガロリンク。

まずスタートで、メルセデス2台をフェラーリが抑えます。
メルセデスのスタートの失敗と、
フェラーリ、ウィリアムズのタイヤの掻きだしの良さには、理由がありそうです。

メルセデスは慌てる、フェラーリは予定通りに不意打ちを食らわせる、
フェラーリの新しい指揮官は、非常に戦略的で知的な方です。
戦って勝つだけではなく、チームのモチベーションも高めるための勝利の仕方というものを
熟知しています。
塩野さん好みの男性タイプでしょう(謎)

レースというものが、人というものを介在している以上、わたしはエンターテイメントとして
楽しんでみる事が出来ています。
ただ、失敗をしなければ楽しめないかというと、そうではないはずです。
絶対王者と思われているメルセデスでさえ、歯車が一つ違えば、大きく順位を失います。
その歯車を違えない努力というものは、TV画面に映りにくい、映ったとしてもわかりにくい
ものなのかもしれませんが、それを素人なりに、なんとなく想像していくのも
レースを見ている側の楽しみだと感じています。

派手に車がクラッシュしたり、追い抜き追い抜かれるデッドヒートが
あちらこちらでなければ、観戦する楽しみがないというのは
観戦する楽しみを高めるための労力を惜しんでいるようにしか思えません。
もっとも、放映する側の労力も「かなり」惜しんでいるように思っていますけれど。

メルセデスの二人のドライバーの心境を、無線から読みとったり
一つのミスも許されないようなオンボード映像の走りを観察してみたり
楽しみ方って、まだまだありそうな気もします。
レースの模様を放送するだけではなく、オンボード映像を切り取って
この時のステアリングの舵角の理由とか、車体の向きやブレーキのかけ始め、終わり方とか
タイヤのどこをドライバーは感知しているのかとか、もっともっと掘り下げた内容の
番組があっても、万人受けはしないでしょうが、観る人は増えるような気がします。

もっとも、その前に、日本人に周知させなければいけないことがひとつあります。

右京氏からはじまる、歴代日本人F1レーサーの質の悪さ、程度の低さを
欧州人の側から見た評価を、情報開示することです。
まず、そこからはじめなければ、日本人F1レーサーがいないF1なんてつまらない、という
認識を変えていくことはできないでしょう。
え?変える必要は無いって?
余計なお世話で申し訳ありません。
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