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妄想、未来の自動車 [雑感]

私が、自動運転車に求める事は何か。

そういうことも考えてみたいと思います。





全自動運転、これの定義を、自動車に乗車した人間が目的地の設定のみを行い、
目的地の到着まで一切人間が手を出さなくとも済む状態、とします。

自動運転のレベルというものもあるそうで、そのレベルで見れば、最高レベルの状態です。

まずそれが間違いなくできる自動車であるならば、
私は自動運転について距離感を感じないでしょう。

さらに、自動運転と乗車している人間との運転の切り替えができ、
その時には、運転手の操作に対する高度な補助機能としての役割も担う。
平たくいえば、凡庸な運転をしていても、「巧みな」運転ができている錯覚を与えるような
自然な運転補助機能が作動するようであれば、これも幸いなことと妄想をします。

主たる操作者は人間である、そのような思想を持った自動車であれば、
私は購入時に、眉を潜めることもないような気がします。

ただし、社会が必要としている自動車は、無人で運用することができる自動車(名前の通り)、
である事は、amaz●nの動向を見ていれば想像ができます。
無人で運用できるのに、わざわざ人に操作をさせるだけのコストをかけるのか。
かけなくなるでしょうね(笑)

新自由主義経済では、ただ消費するだけの人間を必要としますが
その思想から生み出される自動車というのも、ただ購入をして、ただ座っているだけの人間が
必要とされるのでしょう。
購入するのもできなくなれば、借りてでも消費行動をせよ、というのが昨今の動向です。

産業資本主義以外のやり方で、より多くの人を食わせる方法を人類は、
よく経験できていないのではないかと。
新自由主義経済において、働き口が無い者は国に食べさせてもらえ、そしてそのお金で消費せよ。
というのは、究極の福祉なのか、それとも餌を与えるだけの家畜の飼料なのか。
ふとそんなことを考えてしまいます。

2000年前のローマ帝国ですら解決できなかった問題を、現代の人類が解決できるとは、
楽観主義の私ですが、そんなに甘くは無いだろうと考えます。
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